犬丸徹三帝国ホテル社長1964年5月18日号
 1964年10月に開かれた東京オリンピックで、選手や外国人客の宿泊、食事、接待といった“おもてなし”の采配を振ったのは、当時の帝国ホテル社長、犬丸徹三(1887年6月8日~1981年4月9日)だった。「ダイヤモンド」64年5月18日号では、開催を5カ月後に控え、犬丸がオリンピックの準備の状況と、その後の日本にはせる思いを語っている。

 犬丸によると、63年当時の訪日外国人数は年間37万人で、オリンピック期間中に3万人が来日し、年間の訪日外国人数は50万人に及ぶと予想されていた。それをホテルの新設、旅館の改装、ユースホステルや民泊、さらに横浜や東京・晴海に係留する7隻の大型船に収容する計画を披露している。特に「東京都民が家庭を開放して、日本および日本人を理解してもらうと同時に、友人になることは、非常に好ましいことである」と語っている。

 選手村の食事については、全国のホテルや洋食店から306人の料理人が集められ、加えて接待員に530人の大学生をボランティアで集めるという。「知識豊かな青年たちが、心からサービスしたら、たとえ言葉は少々通じなくても、必ず相手の心を打つと思う。同じ世代の若者たちが、心から打ち解け合って接待し、友人として付き合うのだから、これが本当のオリンピックというものだろう」と犬丸は言う。

 そして犬丸は、こうした国際化の取り組みの成果が、東京オリンピックから6年後となる70年に表れてくると予想する。当時、話題になっていた英仏共同開発の超音速機「コンコルド」が70年に就航する予定だった。実に音速の2倍、当時のジェット機の3倍のスピードを誇る旅客機で、「世界一周はあっという間のことだ。世界は一つになるようなものだ」と犬丸。東京がコンコルドの拠点となり、アジアの玄関口となるべきだと語る(実際はコンコルドは採算性の問題から本格導入が進まず、2003年を最後に運航を終えたが……)。

 輸送機関といえば、犬丸が明かす羽田~東京のモノレールが開業に至った経緯も面白い。スウェーデンの家電メーカー、エレクトロラックスの創業者であるアレックス・ウェナーグレンが帝国ホテルに宿泊したことから交流を持ち、戦後、ウェナーグレンからモノレール事業を勧められたのだという。犬丸は、日立製作所や日産自動車など日産コンツェルンを築いた鮎川義介に相談し、研究を開始。その結果、東京オリンピックに合わせ、63年5月に着工、64年9月に開業という驚異的なスピードで建設された。

 犬丸は行きがかり上、日本高架電鉄(現東京モノレール)の初代社長を務めた。また、同社は現在、JR東日本グループの傘下だが、今も日立製作所が大株主に名を連ねているのは、こうした経緯からだ。ちなみに、犬丸はモノレールの未来について「第1期の羽田~浜松町間の建設に続いて、新橋、晴海へ延ばし、さらに横浜へ延長し、熱海まで持って行く計画だ。また将来、大飛行場がどこにできるか分からないが、千葉県の木更津付近にできるとすれば、そこまで延ばすことになろう」とも語っている。日本のホテル業の近代化を推進した功労者だが、ホテル以外の観光業全般に対しても大きな関心と構想を持った人物だった。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

外国人客のピークは3万人
「民泊」に大きな意義

1964年5月18日号より
1964年5月18日号より

 東京オリンピックのために、外国人がどれだけ日本に来るか。誰言うとなしに“3万人ぐらいだろう”ということになった。大勢の人が当てずっぽうに言ったことだが、的を射ているらしい。

 オリンピックの会期は2週間。開会式を見る人は多いだろうが、会期いっぱいいる人は、それほど多くないだろう。開会式を見たい人は、閉会式までいないだろうし、閉会式を見たい人は、開会式には来ていないだろう。それに自国の選手が、予選に負けて、本競技に出ないとなれば、帰る人もあるだろう。過去の経験から言っても、ピークは3万人ということに落ち着いた。

 昨年は日本に37万人の外国人がやって来た。ここ数年、1割5分ぐらいの割合で、入国者が増えている。今年はオリンピックがなくても、5万~6万人ぐらいは増えるはずだった。オリンピック開催によって、直接、3万人ぐらい増えるほか、あれこれ考え合わせると、13万人ぐらい増加して、今年は50万人ほどになるだろうと予想されている。