震災直後に掲げた
雇用の維持

 同社に襲いかかったのは津波の被害だけではない。とくに2011年は企業活動を継続するのも難しい状況だった、と北島氏は話す。

「工場がストップしている間は商品の出荷もできなかったので収入もなく、非常に苦しい時期もありました。一方で、全国各地から応援していただいたり、取引先さんから不足している物資をいただいたり、各方面からご支援をいただきました」

 北島氏自身も事務作業をする場所がなかった時期は、仙台市内の取引先に会議室を借りて総務の仕事をこなしていたという。

「あの頃は、宮城県全体が一致団結して支え合っている状況でした。厚意で部屋を貸していただけたときは、本当にありがたかったです」

 また、被災直後に会社が「従業員の雇用維持」という方針を打ち出してくれたおかげで従業員の不安がやわらいだ、と北島氏。

「当時は被災した企業を対象にした国の雇用助成金で給与を払っていましたが、正直に言うと従業員全員の給与を満額払うことはできませんでした。人事担当者として『もしかしたら会社を去る人も出てくるかもしれない』という不安を感じていましたが、誰ひとり欠けずに働いてくれたんです。会社の方針を聞いて、“またみんなで一緒に働くんだ”という強い意志を持って復旧作業に取り組めたことが大きいと思います」

 会社が方針を出さずに先の見えない不安を抱えたままでは、難局を乗り越えられなかったかもしれない、と北島氏は振り返る。従業員はもちろん、行政や銀行を含めた取引先に支えられ、2011年12月にはすべての設備が復旧したという。

「もちろん、設備が復旧したからといって売り上げが震災前の水準に戻るわけではありません。ゼラチンの製造が止まっている間に他社製品に切り替えるお客さまもいれば、ゼライス1社に発注していた取引先が他社と分散して震災時のリスクを下げるケースもありました。入荷できなくなるリスクを考えれば、当然の判断ですよね。おそらく、ゼラチンの営業担当は10年たった今も苦労していると思います」

 震災の爪痕はさまざまな形で残る、その事実を身をもって感じているという。