文明評論家・ジェレミー・リフキン Photo by Reina Otsuka

1960年代に萌芽したITからIoT(モノのインターネット化)へとつながる一連のデジタルイノベーションがもたらすのは、これまで以上の高い生産性や新たなビジネスモデルだけではない。近代資本主義の究極の落とし子であり、この瞬間も指数関数的な革新を遂げている技術が、限りなく生産性を高めた結果、どのような状態となるのか。そして、世界じゅうでモノやサービスをつくる「限界費用(マージナルコスト)」が限りなくゼロに近づいていくという潮流の先にある経済の形とは。デジタルイノベーションの先に「第3次産業革命」、さらには近代資本主義という経済パラダイムの終焉を予見するジェレミー・リフキン氏に、未来像を聞いた。(聞き手 大塚玲奈)

本記事は書籍『フロネシス16号 事業創造の大転換』(ダイヤモンド社刊)からの転載です。

ケインズ、ハイルブローナーが
予見した資本主義の終焉

――著書『限界費用ゼロ社会』では、デジタルイノベーションにより財やサービスの生産を1単位増やした時の費用の増加分、いわゆる「限界費用」がゼロに近づくことを予見されています。

 新古典派経済学によれば、資本主義は次のような稼働ロジックで成長を続けるものとされています。まず新しいテクノロジーの登場により生産性が上がると、限界費用が下がる。売り手は前より安く、より多くの財を生産することが可能になり、それに対する新しい需要が生まれる。すると、競合他社は新たな独自のテクノロジーでさらに生産性を上げて顧客を取り戻すか新しい顧客を惹きつけるか、あるいはその両方を手にする。価格が下がったことで、手元にお金が残った消費者はそれをまた別の用途に使えるようになり、売り手は新たな競争に駆り立てられる――このような永久機関のような稼働ロジックです。

 近代資本主義は熾烈な競争環境のなか、テクノロジーの導入で無駄を削ぎ落とし、生産性を高め、限界費用を下げることで突き進んできたともいえます。では、このまま生産性を上げるためのさまざまなテクノロジーが導入され続け、我々の想像を絶するような究極まで限界費用が下がった場合の論理的な帰結を考えてみましょう。製品やサービスがほとんど無料になる、すると企業は利幅をいやおうなく縮めることになり、資本主義の命脈ともいえる「利益」がなくなっていくのです。我々を囲む財やサービスがじりじりと無料に近づいていき、資本主義市場は意味をなさなくなっていき、営利企業はニッチへと後退することになるでしょう。

――インターネットの登場が象徴的ですね。知識や情報、コンテンツが急速に無料化していきました。こうした資本主義の抱える論理的矛盾と終焉については、これまでも多くの知識人が予測していたのではないでしょうか。

 20世紀初頭の経済学者、たとえばケインズやハイルブローナーなども予見していましたが、現実として矛盾が顕在化してきたといったところです。インターネットの発展で書籍や音楽などの知的生産物の製造と流通にかかる費用が限りなくゼロに近づいたというのは、そのわかりやすい最初の例だといえます。作家は、作品を生み出す自分の手間とコンピュータを使ってインターネットにアップするコストだけで、無料あるいは廉価で作品を多くの人に流通させることができるようになりました。その結果、これまで製造・流通・販売の過程に関わり、仕事に見合う利ざやをコストに上乗せしていた出版社、印刷業者、卸・小売業者などは、初期投資を回収するための利ざやを得ることができなくなってしまいました。ますます多くの情報がほぼ無料で何十億もの人に届くようになった現象は、出版・通信・娯楽の各業界の利益を枯渇させ、大打撃を与えています。

 同じようなことがほかの産業でも起こりつつあることに、世界じゅうの人が気づいているはずです。資本主義がその稼働ロジックを高め、生産性を上げ、限界費用を下げ続けて大成功を収めた結果、新しい経済パラダイムの幼子が生まれてきたということです。