AIが変える
人間らしさ

――人とAIが一体化していくと、その境界線も曖昧になっていきそうです。

 人間拡張型のAIによって、人のありようが変化するのは間違いないでしょう。個性を考えるうえで大事なのは「人間」という言葉の「人」ではなく、「間」のほうです。クローン人間を想像してみてください。初期のDNAは同じでも、与える情報や経験が違えば、同じ人格にはなりません。社会との相互作用の総和こそが、その人らしさをもたらします。

 技術的に本人と周囲とのやり取りを、AIがすべて記録できるようになれば、たとえば認知機能が衰えた場合に、本人や法定代理人よりも、AIのほうが信頼できるエージェントになるでしょう。死後もインタラクションの部分は残せるようになって、本人らしい受け答えをしてくれるはずです。また、部下に仕事を頼むよりも、自分の分身であるAIに頼んだほうが、気心も能力も知れていいパートナーになるかもしれません。頭のなかに描いた人物をAIに可視化してもらい、自分同士で議論するようなことも、やがて実現すると思います。

 こうなってくると、自分の分身のAIが自分を支援することになり、どこまでが自分で、どこからがAIなのか、境界線がぼやけてくることは確かです。もっとも、私たちの世代は小さい頃のインタラクションの記録が残っていないため、自分自身を完全にコピーすることはできないでしょう。

――VR技術などが孤立や孤独をもたらすと考える人もいますが、いかがですか。

 一概にはそう言えません。VRは、距離や時間を越えてつながる手段です。一方、身体的な移動には物理的なエネルギーやコストがかかります。これからはお年寄りが病院の近くに住みながら、自分が属していた遠く離れたコミュニティには、アバターを通して交流するといったことも可能になります。

 ビジネスにおいても、身体の役目はどんどん失われていくでしょう。最初の出会いでは信頼を深めるために飲食を共にするなど、リアルなコミュニケーションが重視されるかもしれませんが、それ以降は身体性や存在感を実現できるシステムにより、直接会う必要がなくなります。

 それに伴って、交通機関の利用なども減っていくでしょう。物理的な移動が必要になるのは身体のケアのためか、コストをかける価値のある時に限られます。旅や冒険、時には相手のもとに謝罪に出向くなど、心を動かすことが目的の時だけです。将来「真心」という言葉が「自分や相手の心を動かすため心身一体で移動すること」を意味するようになるのかもしれません。

――身体的な移動や他者との直接的なコミュニケーションの機会が減ると、どんなことが起こりえますか。

 いまはまだ属している家庭や地域、本人の性別や年齢など、物理的なカテゴリがその人の立場や個性に大きく影響しています。しかし、アバターでは地理的な制約を受けません。性別や年齢といった肉体的・外見的要素も好きに変えられます。その結果、その人の意識や知恵、価値観がより重要な意味を持つようになります。SNS上で、そうとは知らずに大人と子どもが対等に話をしているようなことは、現在も起きているはずです。

 また服や髪形を変えれば、気分も変わるように、アバターにどのような設定を与えるかで、少なからず本人の心にも影響が出るでしょう。

 そうなると、自分らしさとは何かも考え直す必要が出てきます。生身の自分に表れているものが「らしさ」なのか、それともアバターや社会の一員としての自分のほうなのかという問いです。

 私は近視で、眼鏡を外すと行動が制限されるため、裸眼の状態が自分の本体だと言われると困ってしまいます。このような考えを推し進めていくと、未来社会の本人らしさは、アバターを介した他者との関係性のなかにこそあるように思います。

 では、コミュニケーションの取り方はどのように変わっていくでしょうか。

 現在、私が考える未来のコミュニケーションは、「対話型」「共通体験型」「変身型」「身体共有型」の4つです。

 対話型は、一般的なコミュニケーション方法です。共通体験型も、一緒に映画を観るなど、すでに行われているものです。一方、変身型は、たとえばVRチャットで、男性がかわいい女性に変身して、女性の立場で物事を体験することで、理解を深めるものです。相手の立場になって、相手のインタラクションを身にまとう、コミュニケーション方法です。最後の身体共有型は、複数の人が同じアバターを使って何かに取り組み、お互いの絆を深めるものです。たくさんの人と一緒に神輿を担ぐような経験が気軽に行えるようになるでしょう。

 人間拡張技術の進展に伴い、ほかにも新しいコミュニケーション方法が数多く生まれてくると思います。

――生物の境界を超えた拡張はありえますか。

 当大学の研究室の学生が「植物に変身する」疑似体験プログラムをつくったところ、植物学の先生方にも好評でした。植物から見た時間変化が体験でき、人から見るとじっとしているようでも、植物の世界では時計の針が動いていて、競争のあることが体感できます。このようにほかの生き物に乗り移って変身する体験ができれば、自然や世界の見方も大きく変わってくるでしょう。