東京農業大学の小塩氏は、自身も花粉症を患いながら花粉に関する研究を行っている。ただ、当初は「憎きスギ花粉を全滅させることを志し、復讐心に燃えて研究に取り組み始めた」のだが、研究を進めていくうちに「やがて花粉の魅力に取りつかれてしまった」のだという。そんな小塩氏が花粉症という視点で人類史をまとめたのが本書だ。

「花粉症の歴史は少なくとも紀元前までさかのぼると考えられます。アッシリア人がナツメヤシの授粉作業を行っている記録があり、ナツメヤシの花粉は花粉症を引き起こすことがわかっています。そのことから間違いなく授粉作業者のなかには花粉症患者がいたのではないかと推測されます」

 とはいえ、文献ではっきりと花粉症を確認できるのは中世以降のことだ。

「アルコールの発見や硫酸の製造を行ったペルシャの医師ラーゼスは、バラ風邪(バラ花粉症)、つまりバラによる季節性アレルギー鼻炎について初めて論じました。中世では枢機卿や医者など多くのバラ花粉症とみられる症例が記録されています。ただ、この頃は花粉ではなく香りによって引き起こされると思われていました。ちなみに、バラ風邪は当時奇病とみなされていましたが、忌むべき存在ではなく、詩に歌われるほど情緒的なものでした」

日本人には憧れだった
欧米の花粉症

 次に花粉症が知られるようになったのは1800年代。当時、「夏カタル」と呼ばれる干し草による花粉症(のちに「干し草熱」という呼び名が広まる)の報告が増えていた。

「『干し草熱』は階級の高い身分に症例が多かったことからイギリスでは『貴族病』とも言われ、ある種のステータスでした。花粉が原因であることを発見したイギリスの医師ブラックレイは、教養階級の人々が長年にわたる職業訓練や書物による勉学に励むようになり、神経をすり減らしたことによって花粉に感作しやすくなったと述べています。他には、衛生環境の向上と肉や乳製品など免疫に関するタンパク質量の増加が関係していると私は思いますね」