古い価値観を一枚ずつはがしていく

 夫が会社を辞めて転職したいと言い出した。

 最近、会社の仕事がつらそうなのは知っていた。結婚すれば、相手が決めたことにどうしても影響を受けるので、話し合いが必要だった。

 でも、私を理由に夫が我慢したり耐えたりする必要はない。二人とも自分で責任が取れる大人だし、責任を持つべき子どもがいるわけでもない。稼ぎのないネコが3匹いるにはいるけれど。

 独身だったら誰にも気を使うことなく決めていただろうに、夫は会社を辞めることを迷っている様子だった。私は仕事をしていて、すぐには生活の心配はないというのに。

 私は「あなたは家長じゃないんだよ」と言ってあげた。

「逆の立場だったら、私が仕事が大変でも我慢して耐えろとは言わないでしょう? 二人の関係で、どうしてもお金を稼がないといけないって負担を感じる必要はないよ。だって私は働くのが好きだし」

 お互いの役目を決めつけないようにしようと何度も話をするなかで、夫は結婚当初の肩の荷を多少は下ろしたようだったが、それでも「男として」という修飾語をきれいさっぱり消し去ることはできないらしかった。

「男だから多く稼がないといけないような、家長の役目を果たさないといけないようなプレッシャーを、なぜか完全に消すことができないんだよね」

 そう聞いて、彼のプレッシャーを軽くしてあげる前に、自然な疑問が浮かんだ。

「でもさ……その分、私にも嫁の役目を期待する気持ちがあるってことだよね」

「そうかもしれない、正直言って。だけど、そういう考え方は少しずつ改めていくよう努力しないとね」

 私たちの文化に根強く居座る家父長制と、そこからくる性差別から完璧に自由になるのは難しいとわかっている。だけど、快くは受け入れられない「女性」や「男性」、「嫁」や「家長」の役割を無理やり背負わされ、耐えていたら、私が期待していた未来は少しずつ失われていってしまう。

 結局、昔からの足かせから自由になることが、どちらのためでもあるのだ。

 お互いが相手に責任を持つ以前に、相手の人生の主体性と意思決定を尊重することができれば、私たちはもう少し自由になれて、自分のままで生きていける。

 ごく一般的な韓国人の男女として生きてきた私たち夫婦にとっては、簡単なことではないけれど、長い歳月をかけて塗り重ねられた、なかなかなくならない厚い層を一枚ずつはがしていきたい。

(本原稿は『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』からの抜粋です)