カシミール地方の国境線が
実線ではなく点線である理由

 インドとパキスタンはもともとムガル帝国の支配下にあり、その後、イギリスの植民地となった。1947年にヒンドゥー教徒が多いインドと、イスラム教徒(ムスリム)が多いパキスタンに分かれて独立したが、その関係は“双子”といえなくもない。

 しかし、両国は独立以来、長く対立を続け、何度も戦火を交えている。1990年代後半には両国とも核保有国となり、核戦争の危機に直面した。

 現在も続くインドとパキスタンの対立。その原因のひとつとなっているのが、両国の国境地帯に位置するカシミール地方の領有権争いだ。カシミール地方の国境線が実線ではなく点線などで描かれているのも、領有権争いの痕跡である。

 そもそもカシミール地方は、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈が連なる山岳地帯のことを指す。第二次世界大戦前はイギリスが統治していたが、戦後、イギリスからインドとパキスタンに分かれて独立することになったとき、カシミールはインドに属するのか、パキスタンに属するのかという問題が生じた。

 カシミールを統治していたマハラジャ(藩王)はヒンドゥー教徒だったのに対し、この地域の住人の大多数はムスリムだった。そのため、インドとパキスタン双方が「カシミールはわれわれのものだ!」と主張し、武力衝突へと発展したのである。

 1947年、カシミール地方のマハラジャがパキスタンへの帰属を拒むと、パキスタンが軍を派遣。救援にやってきたインド軍とのあいだで第一次印パ戦争が勃発した。戦いは2年間続き、1949年にようやく停戦となる。

 その後もインドとパキスタンはカシミール地方をめぐって火花を散らし合い、1965年に第二次印パ戦争、1971年に第三次印パ戦争を起こすことになった。世界に衝撃を与えた両国の核実験、それに続く核保有も、こうした対立のなかで進められたものだった。

 領有権争いがはじまってから70年以上経過しているが、カシミール地方ではいまも大小の軍事衝突が絶えない。地図に示された点線は停戦ラインで、そのラインまでそれぞれが実効支配しているのだが、両軍ともラインを越えてたびたび砲撃戦を繰り広げているのである。2020年11月にも砲撃戦があり、双方で13人以上が死亡、数十人が負傷した。

 本来、カシミール地方は「地上の楽園」といわれる風光明媚な地。そんな美しい場所が火薬庫となっているとは、なんとも皮肉である。