さらに留学中には、多職種からなる「チーム医療」も経験。高齢の患者に対して、看護師やケースワーカー、さまざまな高齢者医療の専門家を交えてグループディスカッションをしたり、総合的なアセスメントをしたりする家庭医の仕事に感銘を受けた。

「そうしたやり方は、今では日本でも当たり前になっていますが、当時の私にとっては、全く初めての経験でした。家庭医にはもともと興味があったのですが、それまで過ごしてきた外科の世界との差に大きなカルチャーショックを受け、留学の前後では、ものの見方もずいぶんと変わりました」

「日本にも家庭医を広めたい」と張り切って帰国した武藤医師。だが、志は頓挫する。

「家庭医について大論争が起きていました。厚生省主導の家庭医プログラム推進に日本医師会が反対しており、とてもじゃないけど『家庭医になりたい』なんて口にできる状況ではありません。以来、隠れキリシタンのように地下に潜って(笑)、地方医務局で国立病院の再編成などの仕事をしながら家庭医に憧れていました」

 医療政策の研究を始めたのは、国立医療・病院管理研究所に移ってから。医療計画に関わる仕事や、当時準備が進められていた介護保険の仕事などに携わった。

「医療政策に関することは、ほぼここで身に付けたと言ってもよいと思います。経営に携わっている人や病院建築をやっている人、看護の研究をしている人など、さまざまな分野の専門家がいて、新しい視点を得ることもできました。そういったことも含めて、ここでの経験の多くが今の仕事につながっています」

 武藤医師がアメリカで学んできたような「家庭医」制度は、日本では今も普及していない。2018年4月より新専門医制度がスタートし、「総合診療専門医」の専門研修も開始されたが、志願者が少なく、問題になっている。

「日本のように、家庭医の問題が引き延ばしにされている国は、世界では極めて珍しい存在です。欧米はもちろん、お隣の韓国も導入しています。

 日本では絶対必要な制度です。高齢者は今後どんどん増えていきますが、お年寄りは複数の疾患を抱えているのが普通なので、今のような臓器別専門医だけでは診療することはできません」

現場からの発想で開拓した
デバイス・ジェネリックの道

 ジェネリック医薬品といい家庭医制度といい、普及させることは日本にとって不可欠だと確信し、前進してきた。ただ、道程は決して平坦ではなかった。

 特に、ジェネリック医薬品の普及活動を始めた当初は、医療者に加え、家族からも責められたという。

「医者同士でも『なんでそんなジェネリックなんか普及させるんだ』と言われましたし、うちの家内もジェネリックが大嫌いなもので『どうしてジェネリックの味方なんてするの』と反発されました。なんでダメなんだと聞いたら『病気のときぐらいブランド品にしたい』って(笑)。

 そんなとき、家内が風邪をひきまして、病院で薬をもらってきたので処方箋を見てみたら、中にちゃんとジェネリックが入っていたんですよ。『ほら、これはジェネリックだよ』と言ったらびっくりしていました。処方薬の中には、完全にジェネリックに置き換わっているものもあるんです」

 そんな武藤医師が、仕事において大事にしているのは現場からの発想だ。