持ち家の最大のデメリットは、移動の制限だ。一度家を買ったら、簡単には引っ越しができない。地震や台風などの天災で大きく破損したり、隣人トラブルに巻き込まれたりした場合でも、すぐ売れなければ、我慢して住み続けねばならないのだ。

 また、コロナ禍でリモートワークが当たり前になり、都心から離れる人が増えたり、観光地やリゾート地で仕事をする「ワーケーション」需要も高まっている。住む場所や仕事をする場所の概念が、たった1年で、こんなにも揺らぐなんて、誰が予想できただろうか。

 生きている、それは刻々と変化するということだ。

 収入や健康状態、家族関係、すべて一定の状態で継続されると、信じているほうがおかしい。変化の止まらない人生において、移動の利かない持ち家の所有は、かなりの「お荷物」だ。

 持ち家=幸せという価値観は、すでに通用しない、過去のものだ。快適な住まいを求めるなら、フレキシブルに移動していこう。ライフスタイルに応じて、賃貸住宅を次々に替えていくのが最適だ。

考えなしの投資や借金は、いますぐやめよう!

 持ち家と同じように、テンプレ化した大きな浪費といえば、「大学の学費」が挙げられるだろう。

 将来の安心を得るために大学へ行く学生は、いまでも多い。大学が新卒対象の就職予備機関になってしまっているのが問題の根幹だが、ひとまず置いておこう。

 大卒の肩書きが欲しいとか、真剣に学びたい学問や指導教授がいるというなら、まあいいけれど、奨学金をもらうのは絶対にやめるべきだ。

 正確に言うと、返済義務が付帯されている奨学金は、やめたほうがいい。説くまでもないが、奨学金という通りのいい名称が使われているけれど、ただの学生ローンだ。

 30歳ぐらいの社会人でも、いまだに奨学金返済に追われているという人は少なくない。 その人たちに問いたい。「借金までして通った大学で学んだことは、いまの生活に役立っていますか?」と。ほとんどの人の答えは、NOだろう。

 基本的認識として、本物の奨学金は返す義務がない。それは大学側が、優秀だけれど経済的には不利な学生に、学ぶ機会を平等に与えるためだ。返済義務のない、ちゃんとした奨学金を申請できないような学生は、そもそも大学に行く能力が足りていないということだ。