美術史はビジネス戦略の歴史である。生活必需品ではない美術品を売るには高度な戦略が必要だったからである。誰もが知るナポレオンの名画にも、背後にある「作為」がある。『ビジネス戦略から読む美術史』(西岡文彦著、新潮社)から一部抜粋して、紹介する。
ナチス・ドイツからホワイトハウスまで
ナポレオンの系譜をひく
ナポレオンは、美術の持つプレゼンテーション機能を最大限に活用した近代の皇帝として知られている。パリを古代ローマのような帝都にすることを夢見た彼は、凱旋門やオベリスクといったローマ風の記念建築を市内の随所に配し、近代の帝都としての威光をフランス内外に訴求してみせている。美術の大衆的影響力を知り尽くしていた彼は、今日でいう「インスタ映え」すなわちSNSというマス情報サービスにおける視覚演出にも匹敵する戦略を、デジタル時代のはるか以前に実現した希有な人物であった。
こうしたプレゼンテーションは、建築、絵画彫刻、インテリア、ジュエリー、ファッションに至る領域で徹底され、古代風の記念メダルの発行や新聞報道の統制まで広範囲かつ精緻なメディア管理と宣伝戦略によって、ナポレオンの英雄的イメージを普及させている。第二次世界大戦時、ヒトラー率いるナチス・ドイツが軍装から建築までを古代ローマ帝国風の威圧的デザインで統一したのも、ナポレオンの戦略の系譜を引くものであり、現代の広告手法はこのナチスのイメージ戦略を原型に確立されている。
さらには、アメリカ合衆国大統領官邸「ホワイトハウス」が古代神殿風であるのも、ワシントン市街の中心部に屹立する記念塔がアメリカ史には無縁のオベリスクであるのも、ナポレオンに始まった近代の古代帝国ルネサンスを継承したものといえる。
権力や権威を夢見る者にとっては、やはりすべての道はローマに通じているらしい。
コルシカ出身の砲兵将校ナポレオン・ボナパルトが権力への階段を駆け上がる契機となったのは、王党派の反乱軍が立てこもった港湾都市トゥーロンへの1793年の攻略戦で、従来の突撃戦法を取らず高地からの砲火で敵を撃破し近代戦における重砲の戦略的価値を知らしめた彼は、24歳の若さで少将に昇進する。こうした能力主義の抜擢はフランス革命で登場した国民皆兵の徴兵制がもたらしたものであり、貴族優先の旧来の将校人事は急速に斥けられつつあった。
美術が「兵器」であることを正しく理解していたナポレオンは、3年後、オーストリア軍に勝利しイタリア北部に広大なフランス領土を獲得したイタリア遠征では、早くも従軍画家を同行させている。遠征に先立ち当時のフランス画壇の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドに従軍画家を依頼するが高齢を理由に辞退され、彼の弟子のアントワーヌ=ジャン・グロを同行させている。それまでも王が従軍画家を同行させた例はあったが、ナポレオンのように一将軍の地位で画家を従軍させた例はなかった。