阿佐ヶ谷行方不明事件の
重要参考人を連日取り調べ

 ――お前さん、殺したんじゃないのか。1年も本人が出てこないなんておかしいじゃないか。

「私にはわかりません」

「阿佐ヶ谷の麻雀店店員の行方不明事件」の取調べは連日続いていた。大峯の得意とする揺さぶりにも村田は動じる様子がなかった。雑談にも一向に乗ってこない。何を聞いても頑として認めない、勝気で手強い女だった――。

 1995(平成7)年12月、松岡里美さん(仮名)という資産家女性(当時53歳)が行方不明になっていた。松岡さんは麻雀店「北さん」の店長で、この「北さん」を経営していたのが村田裕子だった。

 翌年1月に松岡さんの姉から家出人届が出された。届を受けた杉並署が聴取したところ、「松岡里美は未亡人で一軒家に一人暮らしをしていた。これと言って失踪する理由が見当たらない」ということだった。

 警視庁はこの失踪を「事件性」ありと考えた。失踪から1年半以上が過ぎた97年8月、殺人犯捜査二係(大峯班)に解明捜査が下命される。松岡さんの交友関係を洗っていくなかで浮上したのが、村田裕子(当時48歳)だった。大峯は裕子を重要参考人と考え、10月ごろから連日のように任意で呼んで取調べを続けていた。

 麻雀店「北さん」はそもそも、裕子が夫・村田隆(仮名)のために開業した店だった。

 隆はいわゆる“ヒモ亭主”だ。裕子は北海道から上京した後、1977年ごろからソープランドで働いていた。彼女が40代まで風俗店勤務を続ける一方で、隆は30代から定職につかず妻の収入で生活するようになっていた。無職の夫のために裕子は200万円を投じてスナックを開業するが、隆は酒を飲むばかりで経営はできなかった。90年に店を改装し、新しく開店したのが麻雀店「北さん」だ。酒も麻雀も夫の趣味を慮った業態だった。