同情狙い「か弱い百合子」作戦を発動
最後は都庁を見捨てて「二階派入り」か

 しかし、転んでもただでは起きないのが小池百合子という政治家である。入院中も、この崖っぷちの状況を逆手に取って、自分に有利な状況を生み出す奇策をベッドの中で練っていたことだろう。今後その一つとして考えられるのが、「か弱い百合子」作戦である。

 小池人気の源泉は「強い女性」のイメージだった。男社会の逆風をモノともせずにのし上がってきたそのエネルギーに、多くの都民、国民が魅了されてきた。たとえその魅力が張りぼてだったとしても、化けの皮は簡単には剥がれなかった。

 それが今、どうやら長引きそうな体調不良により、政治家としての「弱さ」を見せてしまった。だがむしろ、「病み上がり」や「か弱さ」といったイメージは、有権者の同情を誘う格好の武器になり得る。これを使わない小池知事ではない。当面は、「強さ」を封印して「弱さ」を強調することで、自身への逆風を乗り切ろうとしているようにみえる。

 そもそも小池知事は、過労で入院する前から“二階詣で”が常態化している。1都3県の知事会議にはリモート参加であっても、自民党の二階俊博幹事長のところには必ず、直接会いに行く。それが、師と仰ぐ政治家に対する礼儀というものなのだろう。

 二階氏に何を“おねだり”しているかはブラックボックスの中だが、コロナ対策や五輪にかこつけて、自らの身の振り方を相談していることは間違いあるまい。

 逆に「五輪が終わるまでは静かにしていろ」と二階氏からくぎを刺された可能性も大いにある。いずれにせよ、自民党の国会議員から総スカンを食らっている小池知事が頼りにできるのは、世界広しといえども二階氏しかいない。

「小池知事が二階派に入ることで、自民党とも合意した」――。およそ1年前、国政にも都政にも独自のパイプを持つある人物から、こんな話を聞いたことがある。昨年の知事選で再選を果たした直後のことだ。当時は半信半疑だったが、今となってはすこぶる現実味を帯びた内容だと言わざるを得ない。

 なぜなら、前述のように五輪が終わってしまえば、小池知事にはもう都庁に居座る理由はない。議会運営、財政運営、どれをとっても1期目のようにはいかない。

 小池氏が都知事をやっているのは、自らの政治的なステータスを高めるためだ。それができないのであれば、彼女にとって都知事を続ける意味は皆無である。

 幸いにも自ら創設した都民ファは、今回の選挙で党勢をなんとか保った。見方によっては、小池知事の全面的な支援がなくても自立していけることを証明した。もう親離れしてもいい時期といえる。

 来週の7月15日に69歳の誕生日を迎える小池知事に与えられている時間は、そう多くはない。このままダラダラと都知事の座に座っていても、政治生命は枯れていくだけだ。二階氏にすがって国政復帰に活路を見いだすしか、選択肢は残されていないのである。