コロナ禍で、いま、日本の政治家の在り方が問われている。では、明治時代の政治家の生き様とはどのようなものだったのか。少し歴史を振り返ってみよう。
東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が監修をつとめ、日本史の偉人の「すごい」面と「やばい」面の両方を紹介する『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』から、大久保利通の生き様を紹介する。
心を殺して改革をやりぬき、近代日本の基礎を築く
薩摩藩(鹿児島)の下級武士の子だった大久保利通は頭がよく、17才で藩の役人になりました。ところが、藩主の子・島津久光をめぐるお家騒動で父が流罪になり、利通もクビに。親友の西郷隆盛の家でごはんをもらうほど貧乏になりました。
しかし、趣味の囲碁を通じて久光に取り入り、側近として異例の大出世をしました。利通は久光がキライでしたが、目的のためには心を殺せる人だったのです。
利通は、そのクールさで日本を変えます。まず、久光を説得して幕府と対立していた長州藩(山口)と手を組み、天皇が政治を行う「王政復古」を発表して幕府を倒しました。
そして明治政府のトップである内務卿になると、日本のしくみを近代化するさまざまな改革を実行。この功績から「明治政府の父」とよばれるようになったのです。
親友・西郷隆盛との決裂
利通は欧米視察中の自分の留守を親友の西郷隆盛に任せました。けれど帰国後、隆盛が不平士族に活躍の場を与えるため朝鮮を開国させようとしていると知ると大反対。
隆盛は怒って鹿児島に帰りますが、士族たちにかつがれて西南戦争という反乱を起こすハメに……。
利通はしかたなく政府軍を差し向けて隆盛を討ちました。心を殺してずっと冷静だった利通
も、隆盛の死の知らせには号泣したそうです。
さて、本書では、さらに大久保利通の「やばい」一面もご紹介しています。