年収100万円世帯で育ち、思うこと

 私自身、貧困家庭で育ち、過去にその体験を執筆したことがある。執筆のきっかけとなったのは、コロナ禍での一律給付の議論だった。結果的に、条件は設けず一律10万円が給付されることが決まったが、その前段階で、住民税非課税世帯に限定して30万円の給付で調整と報道されたことがあった。

 その際、ネットは、自分たちが対象から外れたことへの憤りのみならず、非課税世帯への猛烈なバッシングであふれかえった。

 非課税世帯の基準は自治体により差があるが、東京都の場合、年収が単身で100万円、扶養家族が1人で156万円、2人で205万円、3人で255万円以下の人が対象と、当時は報道された。(参考

 私の育った家庭も、まさにこの非課税世帯の水準に該当する。

 私の父は、精神障害者だ。障害者雇用はもともと賃金が低いのだが、精神が不安定になると休みがちになり、さらに規定の就業日数を全うすることが難しく、年収が100万円の時もあった。加えて精神科への通院や、度重なる入院で医療費が家計を圧迫した。

 そんな状況の中で、父は障害者雇用(いわゆる作業所といわれるもの)とアルバイト(時給700~750円ほど)を行ったり来たりしていた。

 職場の人間関係もうまくいかず、心身を崩しながらも必死で働いていた父を間近で見ていた私にとって、「まともに働いていれば非課税世帯になるはずなどない」という世間の言葉は、胸をえぐられるような痛みを覚えるものだった。

「生存バイアス」という言葉がある。自分がそこに至るには努力だけではなく、いわゆる運や社会的要因が働いていたにもかかわらず、自分の努力のみでその結果にたどりついたと思い込んでしまうことだ。そして同じ状況にあっても乗り越えられなかった人々に対して、努力不足だ、と自己責任論を押しつけ、切り捨てるのである。

 そしてこのおごりは、だれでも持ちうるように思う。

 私も、激務が続いて体調も崩しがちな中で何とか出勤している時に、知り合いが生活保護を受けていると聞き、「私だってこんなに必死に働いているのに。本当は働けるのに生活保護に頼っているのではないか」と複雑な心境になったことがあるからだ。