何があろうと菅氏を支える「派閥」のような集団があれば、支持率が下がろうとも、むちゃな権力行使は必要なかっただろう。現職の首相が、総裁選立候補断念という異常事態には、至らなかったはずだ。

 要するに、菅氏は「汚れ役」に徹することで、一代で首相にまで成り上がる「下克上ストーリー」を成し遂げたが、最後にはその限界を露呈してしまったということだ。「逆学歴社会」である日本の政界で、非世襲の人材が出世し、首相になって能力を発揮するのは、やはり非常に困難だという厳しい現実を突き付けたといえる。

「安倍一強」を守り、作り上げた菅氏

 菅義偉という政治家が日本政治にもたらしたものを考えたい。なによりも、2012年に誕生した第2次安倍政権で、菅官房長官が果たした役割の大きさは言うまでもない。

 安倍政権は、国政選挙に6連勝して史上最長の長期政権を築いた。また、安倍首相は自民党総裁選でも3連勝している。選挙に圧倒的に強かったのが、安倍政権の特徴だ。一方、その弊害も指摘されてきた。

 安倍政権での菅官房長官の役割は、主に「ダメージコントロール」。情報と資金を自らに集中させて、政敵が台頭するのを未然に防ぐ役割だったといえる。菅官房長官は、安倍首相を支持する党内の「主流派」を党役員・内閣人事や公認権・資金配分において徹底的に優遇する一方で、「非主流派」を徹底的に干した。

 その「非主流派」の代表が、石破茂元幹事長だ。安倍氏が首相に復帰した2012年の総裁選で次点だった石破氏は、最初は党幹事長に就任した。だが、その後「地域創生大臣」に回された後、役職に就くことがなくなった。憲法や安全保障の専門家を自認する石破氏は、現実的な案で実現を目指した安倍首相を容赦なく批判することが多かった。それを煙たがった安倍首相は石破氏を排除するようになったというわけだ(第190回)。