安倍氏は、主流派とされる派閥にも容赦がなかった。2018年の参院選で、岸田文雄氏の側近・溝手顕正氏が公認されていた広島選挙区に、安倍首相・菅官房長官の「強い意向」で河井案里氏が追加公認された。これには、過去に安倍批判を行っていた溝手氏をつぶすことを狙ったという見方が存在する。そして、後に河井夫妻が実刑判決を受ける大スキャンダルに発展した。

 岸田氏は、安倍政権で外相を務め、「ポスト安倍」の有力候補とみられてきた。だが、2018年の総裁選は、安倍首相の総裁任期満了後の「禅譲」を期待して立候補しなかった(第193回)。

 安倍首相が退任した後の2020年の総裁選には立候補したが、期待した安倍氏の支持を得られず、菅氏に敗れてしまった(第253回・p2)。

 このように、安倍首相・菅官房長官は人事権、公認権、資金配分権を容赦なく使って、非主流派のみならず、主流派までも容赦なく抑えつけて、「一強」と呼ばれる圧倒的な党内権力を築いた。

 だが、見方を変えれば、安倍・菅「一強」体制は、実は自民党を弱体化させてきたことがわかってくる。安倍・菅「一強」体制で起きた、自民党の変化を検証したい。

一強の弊害、自民党内の「多様性」を失わせた

 2012年の自民党総裁選では安倍氏を含め5人が立候補した。それ以前も、自民党総裁選では平均3~4人が立候補してきた。だが、安倍政権下では、2015年は無投票再選、2018年は石破氏1人と、立候補自体がほとんどなくなった。野田聖子元総務相など、総裁選への立候補を模索する人を容赦なく妨害して立候補できなくするようなこともあった。

 政策についても、党内から異論が消えた。特に、安倍首相の名前を冠した経済政策「アベノミクス」への批判は難しくなった(第193回・p2)。

 自民党が、自由民主主義国では世界最長の長期政権を築いてきた大きな理由の一つは、時に野党の主張する政策を奪って自分のものにしてしまう「包括政党(キャッチ・オール・パーティー)」としての政策的な幅広さと多様性だった(第218回)。