日本のビジネスパーソンは
自分の会社で起きたことしか語れない

冨山 日本の経営者、というか日本のビジネスパーソンは自分の会社で起きたことは語れるんです。そこにどっぷり浸かっているから、経験談として語ることができる。ところが、自分の目の前で起きたことを、ある程度抽象化して、だから一般的にこうではないだろうか、という仮説を語ることができない人が多い。

 経験が特殊な個別事例なのか、そこから一般的に応用可能な原理を抽出できるものなのかが一切分からない。それは、普遍解を追求する学術研究のトレーニング不足という側面もあって、真の意味での学歴の問題と結びつくんです。

 グローバルな国際会議に出てくるアメリカやヨーロッパの経営者は修士か博士を持っている人が大半です。どっちも論文を書かないと取れません。博士論文というのは、経験談を書いてもリジェクトされるだけなので、当然研究して、事象から一般的に通じる原則を抽出しないとダメです。

 彼らはその訓練を受けているので、国際会議でも議論が盛り上がる、個別の話が一般の議論になるし、普遍的な議論になるから、未来のビジョンを語ることができる。日本の経営者の語ることというのは、自分の体験を体験として語って終わっている事例がかなりあります。

 もっと切ないのは、時に気持ちだけが先走りして、高度な知的なトレーニングを受けないまま、すごい個別性の高い話を無理やり世界的な普遍論として語ろうとする人。これは本当にイタい。世界の一流大学の博士号やダブルマスターを持っているような人たちは、「こいつの頭の構造はどうなっているんだ?」と目が点になってしまう。

 とにかく世の中一般に起きていることへの関心も低い、あるいは浅いですし、それがないと当然未来察知能力が生まれません。結局起きるまで何も思わないから、探索能力が上がらないんです。

「派閥争い」や「時の運」で決まる
社長人事は、企業を弱くする

田原 だから、冨山さんは社長人事を改革しろ、トップを選ぶのは会社で決めるなと言っている。役員会で選ぶ形式をとっていても、役員会のほとんどは社員で、サラリーマン社長が後任のサラリーマン社長を指名している場合が非常に多い。これでは派閥争いや時の運でトップが決まるだけで、企業としてはまったく弱くなる。

冨山 私はそんなやり方をさっさとやめるべきだと言ってきました。同質的な人材候補から狭い視野で見てわずかな差で判断する。

田原 これは逆に言えば、松下幸之助がつくりあげたシステム、つまり、社員がモチベーションを持つためには、社員が頑張れば部長、役員、社長になれるというシステムがもはや機能しなくなってきたことを意味する。

冨山 ひとつ付け加えると、別に社長を社員から選んでもいいんですよ。現実的に考えて、大半の日本型企業が社長人事だけでがらっと変わることはないわけですから。私が語っているのは、こう改革しないといけないという方向性の話であって、明日からそうなる、向こう数年で劇的に変わるとは思っていません。

 ただ、新卒生え抜きで、真面目で従順で与えられた責務を着実にこなしてきたことが、社長になる基本条件っていうのはやめにしましょう、そうやって誰にでも社長になるチャンスがあることが、今どき一般社員のモチベーションなんかになってませんよ、ということです。

 大事なのは、結果的に社員から選んでもかまわないけれども、もっと多様性に富み幅広い人材プールを作って、選ぶ側もできるだけ社外の人も含めて本当に知恵のある人を入れろということです。

田原 今の日本の大企業で、つまり社外役員が社内役員よりも数が多いという会社は、どこにあるだろうか。

冨山 数が多い会社はおそらく数%でしょう。けれども、全体の傾向として社外取締役が多い企業は業績が堅調、もしくは回復しつつあるということは言えます。たとえば日立がそうです。あそこは一度潰れそうになった時に、大改革をしています。

田原 なんで日立はできたんだろうか。

冨山 倒産の危機に陥ったからです。潰れるかもしれないということが現実味を帯びたからこそ、大改革を行うことができました。単に危機をしのぐだけでなく、一気呵成に会社の大改造に進んでいった。それは川村隆、中西宏明というトップがしっかり問題の本質を把握できていたことも大きな要因です。

 日立はリーマン・ショックで潰れかかったとき、川村さんや中西さんが、なんで日立がこうなったのかと考えたんです。これだけ素晴らしい人材がいて、あれだけいっぱい世界トップクラスの技術を研究して、開発してきた博士号を持った社員がいて、製造業としての実力もあったのに、どうしてこうした苦境に陥っているのか。川村さんは日立の中で本流を歩んできた人、中西さんは傍流という違いはあったにしても、そこはまったく波長が合っていて、根本的な問題認識が一致していたんです。

田原 その根本とはなんだろうか。

冨山 日立の場合は、現場の業務を真面目にこなして工場長になった人が、そのまま経営層になること、今のトップに気に入られ、社員からも人望のある人が偉くなるというところに病理があったようです。2019年に文藝春秋から中西さんと『社長の条件』というそのものズバリの題名の共著を出したのですが、そこでこの点を強調されてました。

 こうしたモデルでは事業の入れ替えができません。結局空気を読む人が周りを固めて、ダメだと思っていてもノーと言えない体質になる。そうすると事業を売却しようと考えたとしても、その事業でやっている人たちは、絶対にノーと言う。売らないでくれと言うから、そうすると事業の入れ替えもできない。

 そして、組織の人間の入れ替えもできない。日立の事業を精査すると、日立で抱えているより、他のメーカーが事業買収したほうがうまくいくものが多かったんです。他社は他社で、専門メーカーとして市場シェアも増えますから。だけど、日立で抱えてしまうと、その部門が重しになってしまって、未来にお金や人を割けなくなる。

 だから資本コストを重視した経営に転換する必要があった。資本コスト経営というとなんだか株主重視経営としか理解しない人が多いんですが、事業のリスクに見合う収益を上げないと十分な未来投資原資を稼げない、資本調達もできない、そしてグローバル投資やイノベーション投資を持続できなくなってしまうという、まさに事業の持続性に関わる問題なんです。

 根本が変えられないと、日立のようにデジタル革命とグローバル革命のど真ん中に放り込まれて、会社は潰れるんだということを中西さんや川村さんは気がついて、リストラやって事業を整理しました。業績のV字回復だけではなく、そこから大量生産大量販売の事業モデルからBtoBのサービス事業モデルへの転換を目指し、本気で長期的な会社のトランスフォーメーションに進んでいきました。

 その中での一番大きなものは、ガバナンス改革、すなわちトップの人選です。前任者が指名するというモデルではなくなり取締役会が人材を精査、任免する仕組みに変わったんです。

 取締役には本格的な経営トップ経験が豊富な社外取締役が過半数以上入っています。経営者仲間や著名人が入るような「なんちゃって社外取」ではなく、アメリカでCEOを経験した本物の経営者も招聘しています。現在の日立の取締役会の最大のミッションというのは、トップの任命とクビを切ることになりました。日本の会社の暗黙の「旧憲法」を「新憲法」へとがらりと変えたんです。

 こうした流れは少なからず出てきています。