第100代の首相に就任した岸田文雄は「守りの岸田」から「攻めの岸田」に変身を遂げた。10月4日午後の衆参両院の本会議で正式に首相に選出される直前、永田町に衆院解散のつむじ風が吹き抜けた。岸田が首相就任前に「伝家の宝刀」である解散権を行使したからだ。
「衆院解散は14日、公示は19日。そして投開票は31日」
午後1時から開かれた首相指名のための衆院本会議はもはやドラマではなくなった。もともと11月7日投開票説が永田町の共通認識だった。10月21日の衆院議員の任期満了を大きく超えることなく選挙準備が間に合い、なおかつ選挙後の補正予算と来年度の一般会計予算の編成作業を見据えた「財務省カレンダー」(岸田側近)に沿うからだ。ところが11月7日が投開票日となると、公示日は10月26日。この日は秋篠宮家の長女、眞子さまのご結婚の日と重なる。
「皇室の慶事に“関ケ原”をぶつけるわけにはいかない」(岸田側近)
ただし今回の“奇襲作戦”はあらかじめ仕込まれた日程との見方も有力だ。自民党選対幹部は繰り返し岸田に進言している。
「一日も早く国民に信を問うべき。選挙準備はいつでもできている。31日が選挙でも問題ない」