唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち8万部突破のベストセラーとなり、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど、話題を呼び、坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は「医療ドラマ」をテーマに著者が書き下ろした原稿をお届けする。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【外科医が教える】医療ドラマでおなじみのセリフ「メス!」が、実際の手術では意外と使われない深いワケPhoto: Adobe Stock

医学生時代の驚き

 外科医が「メス!」と高らかに言い放ち、看護師からサッと素早くメスを受け取って皮膚をスパッと切る。医療ドラマで描かれる「手術」と言えば、これが定番のシーンだ。

 現在放送中の人気ドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)でも、手術の始まりはいつもドラマチックで、視聴者を惹きつける緊迫感がある。

 ところが、私が医学生時代に初めて手術見学をして驚いたのは、外科医の最初のセリフが、

「はい、じゃあメスください」

 であったことだ。

 外科医は看護師の方を向いてゆっくり手を差し出す。時に「ありがとう」とお礼を返すこともある。

 些細なことだが、ドラマを見慣れた私にとって、その何とも言えない「脱力感」は新鮮に見えたものだ。

 そして、外科医がメスで皮膚を切った後のセリフもまた、耳に新しかった。

「はい、メス返しますね」

 こちらはもはや、医療ドラマでは一度も聞いたことのないセリフであった。

 だが、外科医として手術を学ぶにつれ、こうしたやりとりがむしろ自然であることに気づき始めた。

 メスは、皮膚が抵抗なくパックリ切れる、危険な道具だ。

 当然ながら、鋭利な手術器具ほど、医師と看護師の間で丁寧な受け渡しが求められる。お互い目視で確認して慎重に受け取り、返すときは、「返します」など何らかの声掛けを行うのが理想的だ。

 この受け渡しがうまくいかないと、メスを落として患者さんやスタッフが怪我をする危険性もあるからだ。

 これはメスだけでなく、針を受け渡すときも同じである。特にC型肝炎ウイルスやHIVなど、血液を介してうつる感染症を持つ患者さんに手術が行われるときは、針刺し事故にも注意が必要となる。

 むろん、鋭利な器具でないときは、外科医が器具名だけを言い放って手をスッと出し、そこに看護師が素早く器具を乗せる。その間、外科医は視線を動かさない。医療ドラマでよく見る光景、そのものである。

実際の手術はかなり地味

 また、医療ドラマの手術シーンでは決まって「緊迫感」が描かれ、「いつ何が起こるか分からない」という「ハラハラドキドキ」がある。ドラマの世界の医療従事者たちは、そろって緊張した面持ちで、しばしば怒号を飛ばしながら試練に立ち向かい、張り詰めた雰囲気の中、辛くも勝利する。

 ところが、これに比べると現実の手術はかなり地味である。

 私が医学生時代、初めて手術を見た時に抱いたのは、「もしこれをリアルにすればドラマは面白くなくなるだろう」という感情だ。

 落ち着いた表情、柔らかい語気で静かに手術は進む。毎度、至って「予定通り」に手術が遂行されていく。

 だが、考えてみれば当然だ。

 過度に緊張して力むより、ある程度肩の力が抜け、リラックスした状態で淡々と行うほうが質の高い仕事ができるもの。これは医療に限らず、あらゆる職種で同じだろう。

 手術を初めて見た医学生の私も、落ち着き払ったプロの姿に、むしろドラマより「かっこいい」と感じたものだ。

 医療の世界は日常生活からかけ離れていて、その実態を知る機会は少ない。まして手術中の様子など、想像するのも難しいものだ。一方、医療ドラマは最も人気のジャンルと言っても過言ではなく、毎クールのように「医療現場」がドラマで描かれる。

 それゆえ、フィクションだと分かっていても、どうしてもドラマのイメージが頭に刷り込まれてしまうものなのである。

(※本原稿はダイヤモンド・オンラインへの書き下ろしです)