リモートワーク、残業規制、パワハラ、多様性…リーダーの悩みは尽きない。多くのマネジャーが「従来のリーダーシップでは、もうやっていけない…」と実感しているのではないだろうか。
そんな新時代のリーダーたちに向けて、認知科学の知見をベースに「“無理なく”人を動かす方法」を語ったのが、最注目のリーダー本『チームが自然に生まれ変わる』だ。
部下を厳しく「管理」することなく、それでも「圧倒的な成果」を上げ続けるには、どんな「発想転換」がリーダーに求められているのだろうか? 同書の内容を一部再構成してお届けする。

部下を動かせない上司ほど「なるべく意識して」と言いがちなワケPhoto: Adobe Stock

無意識のシステムだから
「直接」には変えられない

 前回の記事では、認知科学がリーダーシップに与える最大の示唆は、「内部モデル(=ものの見方)が変わると行動が変わる」ということであり、人やチームを「自然に生まれ変わらせる」には、外因的な働きかけよりも、内部モデルの変容を迫るリーダーシップが必要であるということをお伝えしてきました。

部下を動かせない上司ほど「なるべく意識して」と言いがちなワケ

 とはいえ、ここで問題になるのは、内部モデルはいわば無意識レベルで作動する計算プロセスであるという点です。

 日照りのときに雨乞いをする人は、「天の怒り」という内部モデルを意識的に選択しているわけではありません。

 日照りが続いていると気づいた瞬間に、思わず「あ、天が怒っている……」という認知を発動させてしまいます。

 彼の心にそのような「ものの見方」がすでに備わっているからです。

 同様に、「もう10件の見込み客をとる」という目標に対して、必要なアクションを取れない人は「リード獲得なんて楽」と「リード獲得はしんどい」という2つの内部モデルを比較検討したうえで、意図して後者を選んでいるわけではありません。

 上司から指示を受けたときに「うわ、しんどいな……」「達成できなそうだな……」という認知がつい作動してしまうからこそ、どうしても積極的な行動が取れないのです。

「だったら、そういう甘えた考え方そのものを、根っこから叩き直せばいいんだ!」と言ってのけるのは簡単です。

 しかし実際のところ、そんな根性論を掲げてみせるだけでは、人のものの見方は変わりようがありません。

「もっと自覚を持て!」ほどクソな助言はない

 人間の内部モデルを変えることは、決して容易ではありません。

 それが「無意識的な計算プロセス」である以上、自分がどんな内部モデルに支配されているのかは当の本人にも自覚されないからです。

「外的刺激-内部モデル-行動」という認知科学の枠組みのなかで、通常の意味での「意思」とか「意図」といったものをどう位置づけるかは、かなり微妙な問題です。

 認知科学では、人間の認知活動の大半には、このような無意識的なプロセスが膨大に働いており、「意識的に変えられる範囲はきわめて限定されている」とされています。

 それを示した象徴的な研究が「リベットの実験」です。

 カリフォルニア大学のベンジャミン・リベットは、人が指を動かそうとするときに発生する2つの部位の電気信号、すなわち「(1)“動かそう”と意図する働きを担う脳部位の電位」と「(2)指の筋肉を動かすように指令する運動神経の電位」とを比較しました*。

* Libet, B.(1985). Unconscious cerebral initiative and the role of conscious will in voluntary action. Behavioral and brain sciences, 8(4), 529-539.

 もし、一般的に理解されているように、われわれの心が「指を動かそう」という意思決定を下し、その結果として指が動いているのであれば、(1)の電位が計測されたあとに(2)の電位が現れるはずです。

 しかし、実際の結果は真逆でした。(2)の電位が生じてから遅れること0.35秒ほどのタイミングで(1)の信号が観察されたというのです。

部下を動かせない上司ほど「なるべく意識して」と言いがちなワケ

 言い換えれば、われわれが「指を動かそう」という意思を抱くのは、脳が筋肉への指令を出し終えた“あと”のことだったというわけです。

 この研究についてはさまざまな批判や指摘があるものの、実験結果の解釈をめぐっては多くの議論が生まれ、現在に至るまで大きな影響を持ち続けています。

 慶應義塾大学大学院の前野隆司はこうした知見も踏まえ、人の「意識」とは、心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなくて、人の心の「無意識」の部分がやったことを、錯覚のように、あとで把握するための装置にすぎないとする受動意識仮説を提唱しています**。

** 前野隆司(2010)『脳はなぜ「心」を作ったのか──「私」の謎を解く受動意識仮説』ちくま文庫

 言い変えれば、人間は内部モデルが行った無意識の計算処理に対して、あとから自分なりの理由づけをして、まるで自分の意思で決定を下したかのように感じているにすぎないというわけです。

 上司から「見込み客をあと10件とってくるように」と指示されて、いつまでたっても必要な行動を起こせない人に「なぜ行動を起こさなかったのですか?」と質問すれば、「そもそも上司の指示に無理があったんです。ほかのみんなもどうせ達成できっこないですから、私もあえて本気を出さなかったんです」などと答えるかもしれません。

 しかし、そのような意思決定は単なる幻です。

 認知科学的に言えば、「行動を起こさない」と決めていたのは、彼の無意識ないし内部モデルのほうなのですから。