著者が観察の対象とする「見えない」ものは「感情」と「関係性」だ。

「感情」を重要視するようになったきっかけの一つは、著者が中学時代を過ごした南アフリカで目撃したマンデラ大統領誕生の選挙だ。このとき現地で目の当たりにした、白人と黒人の歌手がともに歌を歌う様子から、著者は人々の「国を守りたい」と願う祈りの気持ちを感じ、胸を打たれた。しかしこの曲は今ではインターネットの検索で見つけることもできず、歴史に残されてもいない。このように歴史としては記録されていなくとも、確かに存在していた人々の「感情」を観察することによって歴史や社会、人を理解したいと著者は考えるようになった。

 そしてもう一つの観察対象である「関係性」をわかりやすく表しているのは、作家の平野啓一郎が唱える「分人主義」だ。人は、他者と接している時の自分は「本当の自分」ではなく「演技した自分」であると考えているかもしれない。しかし実はそうではなく、家での自分や会社、パートナーと一緒にいるときの自分はどれも本当の自分であり、それぞれの場面での異なる「キャラ」が集合して一人の人間を形成しているとするのがこの概念だ。

◇「最も合理的なセンサー」

 この「感情」と「関係性」という二つの「見えないもの」を感知する能力は「物語」によって鍛えられると著者は言う。人は「物語」を通して、現実世界では見えにくい他者の内面に入り込むことができるようになる。従来の学校教育や社会では人々は論理的に動くように教育され、まるで工場で働く一員のように資本主義の社会にとって効率性を高めるべく生きることを望まれた。しかしそのような過去の時代とは異なり、テクノロジーの発達によって知が解放されたこの人間中心主義の現代では、「感情」や「関係性」が重要度を増すと著者は予想している。

「感情」の定義とは何か。人間は常になにかしらの感情を持っているが、今、あるいは少し前にどのような感情を持っていたかを即座に述べることはできないだろう。ギリシア哲学や仏教を見ても、人間は2000年ちかく「感情」を的確に定義できないままでいるようだ。この問いに答えることは難しいことは認めつつ、著者は「感情は、ヒトという動物にとって、最も合理的なセンサー」という考えを紹介する。そしてこの取扱困難なセンサーを理性と調和させることで、社会と適切な距離をとり、自らにとって快い状態を保つことができる、と考えている。

◆愛ある観察
◇判断を保留する

 人間は「わかりたい!」と願って、知識を身につけ、必死に学ぶ。著者はこの「学ぶ」という行為を次の2種類に分けることができると考える。

1「スキルを身につけることで、無意識に行えるようにする学び」
2「身につけているスキルを、意識的に行えるようにする学び」