ジェフ・ベゾス自身の言葉による初めての本『Invent & Wander』が刊行された。100万部ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』などで知られるウォルター・アイザックソンが序文を書き、翻訳も100万部超『FACTFULNESS』などの関美和氏が務める大型話題作だ。
その内容は、PART1が、ベゾスが1997年以来、毎年株主に綴ってきた手紙で、PART2が、「人生と仕事」について語ったものである。GAFAのトップが、自身の経営についてここまで言葉を尽くして語ったものは二度と出てこないのではないか。
サイトとしてだけでなく、キンドル、プライム・ビデオ、AWSなど、多くの人が「アマゾンのない生活など考えられない」というほどのヒットサービスを次々と生み出し、わずか20年少しで世界のあり方を大きく変えたベゾスの考え方、行動原則とは? 話題の『Invent & Wander』から、ベゾスがAWSの奇跡的な「独走」について語った部分を特別公開する。
7年間もライバルが現れなかった
AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)はかなり長いこと舞台裏で開発を続けて、やっと公開できたサービスだ。これまでにないコンピューティング機能のアウトソーシングサービスを提供し、いまでは巨大な事業に成長している。
以前なら、コンピューティング能力が必要になった企業は、データセンターをつくり、サーバーをずらりと並べ、OSをアップグレードし、すべてを運用し、あれもこれもとやっていた。いずれも、肝心の事業には何の付加価値も与えない。参入コストのようなもので、誰がやっても変わらない重労働だ。
アマゾンでも、同じことをやっていた。自社のためにデータセンターを建てていた。データセンターを運営するアプリケーションエンジニアとネットワークエンジニアが、膨大な労力をここに無駄に注ぎ込んでいるのが見て取れた。こうした付加価値のない仕事のためにものすごい数の会議が開かれていた。
そこで、「なあ、セキュリティを強化したAPIを開発して、アプリケーションエンジニアとネットワークエンジニアには工程の会議にだけ参加してもらえば、細かい調整はやらなくても済むんじゃない?」ということになった。
セキュリティが強化されたAPIですべてのサービスが利用でき、誰にでも使えるくらいにわかりやすい、サービス指向アーキテクチャを組み入れたものを開発しようと思った。
最初は自分たちのために開発をはじめたが、すぐに世界中のあらゆる会社がこれをほしがるに違いないと確信を持った。
驚いたのは、ほとんど宣伝も発表もしなかったのに、たくさんの開発者がこのAPIに群がったことだ。そしてあり得ないような奇跡が起きた。私が知る限り、ビジネス史に例を見ない最高の幸運だったと思っている。7年間も、似たようなライバルが出てこなかったのだ。信じられないほどラッキーだった。
私が1995年にアマゾンを立ち上げたときは、大手書店のバーンズ・アンド・ノーブルがバーンズ・アンド・ノーブル・ドット・コムを立ち上げ、2年後の1997年に市場に参入した。新しいものが発表されると、だいたい2年遅れで競合企業が入ってくる。
キンドルを発売したときも、バーンズ・アンド・ノーブルが2年遅れでヌークを発売した。エコーのときはグーグルが2年遅れでグーグルホームを発売した。
一番手の場合、運がよければ2年間は競合に先駆けることができる。7年もライバルが現れないなんてことはあり得ないので、信じがたかった。既存の巨大ソフトウェア企業はアマゾンをまともな同業ライバルとは見なしていなかったのだと思う。だからこれだけ長いあいだ独走できて、夢のような多機能プロダクトとサービスをライバルに先駆けて開発し、優位性を保つことができた。
アンディ・ジャシー率いるAWSのチームは、プロダクト面で矢継ぎ早にイノベーションを起こし、見事にすべてを運営している。彼らを心から誇りに思う。
(本原稿はジェフ・ベゾス『Invent & Wander』からの抜粋です)
アマゾン創業者、元CEO。宇宙飛行のコスト削減と安全性向上に取り組む宇宙開発企業、ブルーオリジン創業者。ワシントン・ポスト社オーナー。2018年、ホームレスの家族を支援する非営利団体の支援や、低所得地域の優良な幼稚園のネットワーク構築に注力するベゾス・デイワン基金を設立。1986年、プリンストン大学を電気工学とコンピューターサイエンスでサマ・カム・ラウディ(最優秀)、ファイ・ベータ・カッパ(全米優等学生友愛会)メンバーとして卒業、1999年、タイム誌「パーソン・オブ・ザ・イヤー」選出。『Invent & Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』を刊行。