ESG実現の“ミッシングピース”、日本が軽視する「役員教育」Photo:PIXTA

「コーポレートガバナンス・コード」を2014年に日本政府へ提唱したことで知られる会社役員育成機構(BDTI)のニコラス・ベネシュ代表理事は、昨今話題のESG(環境・社会・ガバナンス)経営を実現させるために、役員研修が不可欠であると訴える。その理由を特別寄稿で詳述してもらった。

ESG経営という大転換
日本は特に不安を抱えている

「ESG(環境・社会・ガバナンス)」や「サステナビリティー」という言葉は、今日の流行語になっている。本稿で私はあえて、ESG推進派も懐疑派も誤解があると言わせていただきたい。理解が足りないのは機関投資家、投資先企業の両方だ。だから建設的対話も(数少ない例外を除き)成功していない。尊大な論調となり恐縮だが、以降では「ミッシングピース(欠落した部分)」を埋めてこそESGが真価を発揮する(かもしれない)秘策を提示していきたい。

 最初に、私は日本のコーポレートガバナンス(企業統治)を推進するため、企業の役員研修を手がける公益社団法人会社役員育成機構(BDTI)を11年前に設立し、代表理事を務めてきた。その経験や視点から、この激動の時代に多少なりとも有益な見方を提供できるのではと思い、本稿をしたためた次第である。

 まず、振り返れば会社法上の「有限責任」の概念は、ビジネスを育て、経営者のリスクテイクをしやすくした。この概念が社会全体を発展させ富を築く基礎となったことは、疑いようがない。しかしまた、社会にダメージを与え、私物化する結果ももたらすことが、大きな問題になってきた。企業や経営者は、リスクや社会へのダメージを外部化することで、多くの利益を得られてしまうのだ。

 2008年の金融危機、最近の米国におけるオピオイド危機が引き起こした損失と痛みには、目を覆うばかりだ。温暖化ガス(GHG)やプラスチックによって自然にダメージを与え、自らが住む環境を破壊していると考えれば、「外部」化というより自傷行為ともいえるほどの危険な状態だ。ESGに着目する投資・経営は、有限責任への反省の上に成り立ったもので、真っ当な正しい考え方といえる。

 真っ当で正しいというと、良き企業市民になるために収益性を後回しにする、と聞こえるかもしれない。ここで「持続可能性」の2つの意味を考えてみる。この点も、混乱している人が少なくないように感じる。「持続可能」と聞くと、「地球や環境にとって」という意味合いが思い浮かぶかもしれないが、同時に「企業やビジネスにとって」という意味合いもあるのだ。

 社会に貢献し、再投資や適応のための十分な資金を稼ぎ、必要なときに資本提供者からの支援を受けることができなければ、どんな組織も長期的には「持続可能」ではない。倫理にもとる正しくないことを行う企業は、社会ライセンス(その事業を行うことへの社会からの許容)を奪われ、存続できない。

 一方で、損害を外部化することなく、むしろ「地球や環境にとって持続可能」であることを売りにして、「企業やビジネスにとって持続可能な」高い収益性を生み出すことだってできる。これこそがESG経営であり、そこへ資本を投下して後押しし、投資益を上げるのがESG投資なのである。

 有限責任時代からESG時代へ、企業の方向づけ、収益の求め方が非常に大きく転換し、高度化しているのであり、その大きさは株式会社制度開始以来の大きさだといっても過言ではない。しかも日本にとっては特に不安な点がある。