
トランプ関税政策は、アジア経済にも大きな打撃を与えると見込まれている。1990年代後半のアジア通貨危機の克服など、アジア経済を長年にわたって支えてきたのがアジア開発銀行(ADB)である。前日本銀行総裁の黒田東彦氏が執筆するダイヤモンド・オンラインの連載『黒田東彦の世界と経済の読み解き方』の今回のテーマは、アジア経済の発展とアジア開発銀行。アジア開銀の総裁として一番苦労した仕事とは?
1966年に設立されたアジア開発銀行
当初の融資は農業開発が中心だった
アジア開発銀行(ADB)は日米の協力によって、1966年に設立された国際開発銀行である。
本部をどこに置くかを決める際に、日本は東京を推した。だが、米国がフィリピンのマニラを推したため、結局マニラになった。その際、日本政府代表を務めた渡邊武氏に対し、米国が総裁になることを勧め、初代アジア開銀総裁になったのである。
当時のアジア経済は韓国や台湾、シンガポール、タイなどが年10%前後の経済成長を遂げて活況であった。他方、フィリピンは6~7%、インドネシアは3~4%、インドは4~5%の経済成長にとどまっていた。
アジア開銀の融資は当初は農業開発が中心であり、東南アジアへの支援が大半を占めていた。その後、融資は多様化し、インフラや商工業など幅広く支援するようになっていった。