唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち10万部突破のベストセラーとなっている。「朝日新聞 2021/11/27」『売れてる本』(評者:郡司芽久氏)、「TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国」(2021/11/21 著者出演)、「日本経済新聞 2021/11/6」『ベストセラーの裏側』、「読売新聞 2021/11/14」(評者:南沢奈央氏)、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど話題を呼び、坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

古代エジプトのパピルスでも紹介…人類が3000年以上も悩まされている病気の「実態」とは?Photo: Adobe Stock

藤原道長も苦しんだ

 糖尿病の歴史は非常に古い。紀元前十五世紀の古代エジプトのパピルスには、糖尿病患者に特徴的な「多尿」の症状が書かれ、かのヒポクラテスも糖尿病の症状に触れている。日本では、平安時代に藤原道長が糖尿病の症状に苦しんだことが知られている。

 だが、インスリンの存在のみならず、膵臓が糖尿病にかかわる臓器であることすら、十九世紀後半まで知られていなかった。三千年以上もの歴史の中で、糖尿病の実態が明らかになったのは「ごく最近のこと」なのだ。

 糖尿病の歴史における大きな転機は、一八八九年にあった。ドイツの医師オスカー・ミンコフスキーは、膵臓を切り取られた犬が糖尿病を発症することに気づいた。膵臓がなくなった犬は、異常な喉の渇きと多尿などの糖尿病特有の症状を起こし、昏睡状態となって死亡したのである。

 膵臓が十二指腸に消化液を分泌する臓器であることはすでに知られていた。だが、膵臓に血糖値を調節する機能が備わっているという事実は、このとき初めて知られたのだ。

 膵臓から分泌される、血糖値を下げるホルモンを抽出できれば、これを使って糖尿病患者を救えるはずだ。だが、この試みには多くの研究者が苦心した。抽出の過程で、タンパク質を分解する膵液中の消化酵素が、ホルモンをも分解してしまうからである。

 このような時代に、インスリンの発見は意外な形でもたらされた。

 一九二〇年、当時二十九歳のカナダ人、フレデリック・バンティングは、糖尿病の治療経験のない一介の外科医であった。パートタイムで行っていた大学生への講義に備え、炭水化物の代謝にかかわる文献を調べる最中に、あるアイデアを思いつく。

 それは、動物の膵管の出口を縛り、膵臓の消化酵素をつくる細胞を壊せばホルモンのみを抽出できるのではないか、というものだった。基本的にホルモンとは、膵管のような「導管」(通り道となる太い管)を持たず、毛細血管内に直接分泌される物質だ。

 膵管を塞いでしまえば、滞留した膵液によって膵管の圧が高まり、消化酵素をつくる細胞だけが壊れるため、消化酵素の影響を受けずにホルモンを抽出できるかもしれない。

 バンティングは自分のアイデアを形にするため、一九二〇年十一月にトロント大学の生理学教授ジョン・マクラウドと初めて会った。糖尿病の知識は浅い上に実験の経験も乏しかったバンティングに、マクラウドは半ばしぶしぶ実験設備を与えた。これが、のちに「トロントの奇跡」と呼ばれる快挙に結びついた。

 一九二一年、バンティングは前述の方法で犬の膵臓からホルモンを分離することに成功した。これを糖尿病の犬に注射したところ、劇的な効果を示したのだ。膵臓を全摘出されたにもかかわらず、七十日以上も生きた犬のマージョリーは、世界でもっとも有名な実験動物になった。

 一九二二年一月には一型糖尿病の十四歳の少年にインスリンが初めて投与され、症状を劇的に改善させた。その後、トロント大学とアメリカの製薬会社イーライリリーとの産学連携によって、家畜の豚からインスリンの大量生産が可能となり、世界中の糖尿病患者を救えるようになったのだ。

 着想からわずか三年後の一九二三年、バンティングはマクラウドとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。まさに世界的快挙を成し遂げたバンティングは、一九四一年二月、飛行機の墜落事故によって短すぎる生涯を閉じた。四十九歳であった。

 世界糖尿病デーに定められた十一月十四日は、毎年世界中でライトアップの催しが行われる。日本でも、全国一〇〇カ所以上で建造物がライトアップされ、街頭での啓発活動が実施されている。十一月十四日は、バンティングの誕生日である。