人間の脳は錯覚する。目の錯覚は有名だが、脳も錯覚するのだ。その一つが「非常に小さな確率については、実際よりも大きく感じる」というものだ。飛行機事故の確率は非常に小さいのに、飛行機は怖いから乗りたくないと思っている人が多いのは、この錯覚によるものだ。

 したがって、当たるかもしれないと考えて宝くじを買うのは、経済合理的ではなく、錯覚による非合理的な取引だ、ということになる。しかし筆者は、「だから宝くじは買うべきではない」などと言うつもりはない。

夢を買っているならば、
非合理的とは言い切れない

 五輪で日本選手を応援した人は多いだろう。テレビの前で、大声で声援を送っていた人も多かったはずだ。

 金銭的な損得だけを考えれば、五輪で日本選手を応援するのは損である。テレビの前で応援していても日本選手が勝つ確率が高まるわけではなく、仮に勝ったとしても自分の利益になるわけではないのだから、応援している時間があればアルバイトでもすればよい、ということになってしまう。

 しかし、「だから日本選手を応援するのは非合理的で、やめるべきだ」などと言うつもりはない。応援すること自体が楽しい、というのもあろうし、応援した選手が勝ったときには自分のことのようにうれしく感じる、という人も少なくないだろう。

 人生は金のためだけにあるわけではない。楽しい、うれしい、と思えることをするのは、十分に合理的なのだ。もちろん「楽しいことばかりで勉強も仕事もしない」というのでは困るが。

 そうだとすれば、宝くじを買うことで「当たれ」と応援するのが楽しいのであれば、宝くじを買うのは非合理的とは言えないはずだ。日本選手が勝っても自分の得にはならないが、宝くじは当たれば自分の得になるのだから、応援にはいっそう熱が入るというものだ。

 当せん番号の発表までの間、「当たったら何に使おうか」などと考えるのも楽しいに違いない。夢を持てるのは素晴らしいことだ。実際に当たる確率は極めて小さいので、他人からみれば単なる妄想かもしれないが、上記の錯覚によって本人が「当たるかもしれない」と思えるなら、夢を持てるわけだから、問題なかろう。

 カジノのルーレットは楽しめる時間が1分くらいしかないのに、宝くじは何日も夢を持ち続けられる、という点も素晴らしい。そんな宝くじが数百円で手に入るなら、購入することは非合理的とはいえないだろう。