1月9日にスタートするNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、北条義時だ。北条時政の息子であり、源頼朝の妻である政子の弟である。歴史家からは「待つ人」と評されることも多い義時は、どのような人物だったのか。史料をもとに探ってみたい。(歴史学者 濱田浩一郎)
22年大河ドラマの主人公
北条義時とはどんな人だったのか
2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が1月9日(日)にスタートする。小栗旬さんが演じる主人公は、北条義時(1163〜1224年)。平安時代末から鎌倉時代初期の武将であり、鎌倉幕府内において権力を持った政治家だ。
では、その義時はどのような人間だったのか。まず、義時の顔であるが、当時は写真がないため、確かな風貌はつかみようがない。しかし、絵巻物から容貌が分かる場合もある。
義時に関しては、承久の乱(1221年)を描いた「承久記絵巻」(江戸時代に製作か)に、烏帽子を被った義時の顔が描かれている。口ひげを生やし、顔は少しふっくらしている。目は細い。小栗旬さんほどのイケメンではないかもしれないが、それなりにりりしい容貌ではないだろうか。とはいえ、この絵巻も江戸時代に描かれたものであり、義時の本当の顔を伝えるものではない。こればかりは謎としか言いようがない。
義時の人物像についても、例えば後世の織田信長や豊臣秀吉のように豊富な史料が残っている訳ではないので、断片的にしか分からない。しかし、その断片的な史料からでも、義時の性格というものをうかがうことはできる。
義時の性格を現代の歴史家はどう評しているかというと、「待つ人」「何もしない人」である。私はその評価には反対なのだが、なぜ義時がこう評価されるのか、具体的に見てみよう。