企業と結託して従業員を退職に追い込む「ブラック産業医」の存在が話題となった。ただし、労働者の権利を声高に主張する“モンスター社員”からすれば、まともな産業医すらブラック産業医に見えることもある。産業医は、従業員に寄り添う立場と企業の労働顧問としての立場の「双方」が求められる難しい職業なのだ。また、働き方の多様化で働き手の労働問題は複雑化しており、メンタルケアなど産業医が注力すべき領域も広がっている。特集『名ばかり産業医の闇』(全5回)の#2では、大きな苦悩を抱える産業医の実態に迫った。(ダイヤモンド編集部 山本 輝)
産業医の復職不可意見に根拠なし
ある裁判が呼んだ波紋
神奈川県の事務組合に勤務していた高橋良美さん(仮名・40代)は、当時、勤務先との間でパワーハラスメント被害などのトラブルを抱えていた。
こうした被害が理不尽であるとして、組合に対して訴訟を提起したが、その係争中に高橋さんは入眠障害や食欲不振に陥り、うつ病を患ってしまった。高橋さんは2014年9月にいったん休職したものの、その後病状は回復。「通院加療中だが、病状改善により復職は可能」という主治医の診断書を携え、組合に復職を希望した。
だが、そこに待ったをかけたのが組合の産業医だ。産業医は、高橋さんを「自分の行動に客観的振り返りができていない」「組織の一員としての倫理観、周囲との融和意識に乏しい」と厳しく追及。さらには、「統合失調症」「人格障害」という業務に支障を来しかねない踏み込んだ“診断的な所見”を会社に提示した。
こうした産業医の意見を基に、組合は高橋さんの復職を認めなかった。結局、高橋さんは就業規則により休業期間の終了とともに退職を余儀なくされてしまった。
だが、この産業医の判断は、合理的根拠がなく、退職を不当として高橋さんは再度訴訟を行った。果たして、裁判所は高橋さんの主張を認めた。「復職不可とする産業医の意見書は、到底信用できない」――。裁判所はそう判決を下したのだった。
これは、18年に横浜地方裁判所で判決された「神奈川SR経営労務センター事件」のあらましだ。産業医の復職判断に真っ向から争った例として、産業医界でしばしば取り上げられる事件の一つである。
この事件をきっかけに世間に広まったのが「ブラック産業医」という言葉だ。合理的な根拠のない復職可否の判断だけではなく、あたかも企業と結託して従業員を追い込むような産業医の存在が、産業医全体への不信感を助長する材料になってしまった。
だが一方で、多くの産業医がブラック産業医の“実在”を疑っている。「ブラック産業医なんてものはメディアが生み出したフィクションだ」――。ある産業医は、そう吐き捨てるように言う。
「ほとんどの産業医はまともだが、どうしても産業医という仕事の性質上、従業員から“恨まれてしまう”こともある。従業員の意に沿わない部分だけが切り取られて誇張されると、なんでもブラック産業医のせいだということになる」(ある産業医)
こうした発言が飛び出す背景には、企業と従業員の板挟みにならざるを得ない「産業医の複雑な立場」があった。