公害訴訟判決も追い風に
ディーゼル規制を押し切った

 発表当初、ディーゼル車のメーカーや行政は困惑。当時の運輸事務次官は「トラックは都内だけではなく全国を走る」と慎重姿勢をにじませた。当然、トラックやバスの業界は反発した。技術的にも課題があり、石原氏が求めた、排気ガスに含まれる浮遊粒子状物質(SPM)の除去装置が十分に開発できない状況だった。

 それでも「国と戦う」と語ってはばからない石原氏の当時の支持率が高かったうえに、2000年には尼崎と名古屋の公害訴訟で、まさに石原氏が問題視していたSPMの排出差し止めを国に命じる判決が出された。世論や司法において、環境意識がより一段と高まっていたタイミングも追い風となり、2000年12月に都議会で条例案が可決された。

 現在では排気ガスの粒子どころか、二酸化炭素など温室効果ガスそのものの排出を減らす動きが先進国で主流となっていることを考えれば、先進的な施策だったと言える。

 一方で有権者に絶賛されながら、掛け声倒れに終わった政策もある。ディーゼル規制と同じころに華々しく打ち出した、銀行への外形標準課税だ。

 都は、銀行が納める法人事業税が減少したため、赤字でも税収が確保できる外形標準課税を、銀行に的を絞って導入すると主張した。だが当時は、政府主導で「日本版金融ビッグバン」による銀行再編と、公的資金の注入による金融システム安定化が行われていた真っ最中。当時の堺屋太一経済企画庁長官は記者会見で、「外形標準課税は慎重な扱いが必要だ」と懸念し、銀行側はもちろん反発した。