欧米では自己肯定感が高くないと生きていけない

 自己肯定感の高さが著しく異なることの背景として、このような文化的要因がある。

 なぜ、発達期待にこのように対照的な違いがあるのか? それは社会がそのように対照的な性質を持っているからだ。発達期待というのは、社会に適応するために必要な性質を身に付けさせるためのものなのである。

 欧米社会では、強烈な自己主張をして、ハッタリであっても自分を大きく見せ、自信満々に振る舞わないと生き抜いていけない。遠慮したり、人の気持ちを配慮し自己主張を控えたりしていたら、競争に負けてしまう。あくまでも自己主張によって求めるものを奪い取らなければならない。日本が譲り合いの社会なのに対して、欧米は奪い合いの社会なのである。

 そういう社会に生まれてからずっと生きているため、欧米人は遠慮なく自己主張し、自信満々に振る舞うわけだ。弱みを見せたら付け込まれるので、何が何でも自己肯定するしかないのである。欧米人が絶対に譲らず自分の意見をまくしたてる姿をテレビのニュースなどで見て、「すごいなあ」と圧倒される人もいるだろうし、見苦しさにあきれる人もいるだろう。しかしそもそも、そうしないとやっていけない社会なのだ。

 ゆえに、多くの欧米人は、「自分に満足している」「私は価値のある人間だと思う」といった項目は肯定し、「自分はダメな人間だと思うことがある」といった項目では否定する。その結果、「自己肯定感が高い」ことになる。