コロナ禍が長期化する昨今、日本のリーダーたちの資質が問われています。今の日本のリーダーには「何が」足りないのか。組織の中で「自分」を生かし、「人」を動かすにはどうしたらよいのか。歴史上のリーダーたちの身近な行動に注目してみると、そのヒントが隠されているかもしれません。そこで今回は、作家・童門冬二さんの著書で、15万部を突破したロングセラー『将の器 参謀の器』(青春出版社)から、誰もが知っている武田信玄の部下の育て方について抜粋紹介します。
人育ては、まず人を見ることから始まる
戦国武将で人育てや人使いの名人といわれたのは、武田信玄だ。武田信玄が経営していた国を「甲斐」といった。日本の国は古くから二文字で国名を表すという法律ができていたが、甲斐の語源は“山峡(やまかい)”だといわれる。つまり、山が多くて、耕せる土地が少ないということだ。第一次産業がその国の富の源泉であった当時、耕せる土地が少ないということは、それだけ生産性が低いということである。
しかし、経営者責任の強い武田信玄は、「もっと事業を拡大して、この国に住む人々の生活を豊かにしたい」と考えていた。そこで、かなり他国に対して、今でいうマーケットの拡大を図った。