それでもなくならない疑念、中国への不平不満

 それでも、「大騒動」が次々と起こり、このような説が広がっていく背景は看過できない。中国が人権侵害への批判をカネと権力に物を言わせて強引に抑えつけてきたことを世界は見てきた。五輪においても、札束で頬を張りながら「白いものを黒」ということを強引に進めているのではないかと、世界中の多くの人は疑っていた。

 要は、中国は「信頼」されておらず、疑心暗鬼が広がっていた。それが、微妙な判定に対する強い不平不満につながったと考えられるのだ。

北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されています。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)

 経済的・軍事的な拡大だけを見れば、中国が「大国」となったことは言うまでもない。しかし、中国の振る舞いは到底「大国」とはいえない。

「大国」の振る舞いとは、札束で頬を張って小さな国を抑えつけることではない。そんなことをしても「面従腹背」、軽蔑されるだけだ。「大国」の条件とは「寛容さ」だ。それは、すべての人の言語、歴史、文化、宗教、民族、思想信条、基本的人権をおおらかに受け入れることである。

 中国が、北京冬季五輪の「騒動」の経験を通じて、「寛容」な大国らしい振る舞いを学んでいくことを強く望む。それが、中国が札束を使わずとも世界から尊敬される道なのだと、私は中国の友人として言っておきたい。