偶然の出会いに導かれて

 あるいは「キノコに呼ばれた」ということだったのかもしれない。地元に帰った大畑氏は、間もなく道の駅でハナビラタケを偶然目にすることになる。実は、このキノコの名前は耳にしたことがあった。豊洲市場でわずかに取り扱いがあったからだ。確か、アルバイト先の社長が「珍しいキノコで、なかなか入ってこねえんだよ」と言っていたっけ。

「道の駅の売店のおばちゃんに、そのキノコがどこで作られているのかを聞いたところ、大井川電機だということでした。意外に思いましたが、すぐに大井川電機に連絡して、話を聞きに行きました」

 大畑氏は、ハナビラタケの営業戦略をしたためた提案資料を持って、大井川電機のきのこ課のメンバーと対面した。19年2月のことだ。当時のきのこ課は、ようやく安定した生産体制を整えたところだったが、販売戦略は白紙同然だったため、大畑氏の突然の登場はきのこ課のメンバーたちにとって渡りに船だった。

「きのこ課の皆さんは、“ちょうど困っていたんだよ”と、僕の話に熱心に耳を傾けてくださいました。でも、それ以外の社員の皆さんからは冷たい視線を感じましたね。そもそも、新しい人が訪ねてくることがほとんどない会社で、しかも、当時の僕はお金がなくてスーツも着ていませんでしたから、どこの馬の骨だか分からない若造がいきなり訪ねてきたという感じだったのだと思います」

 学生のような格好で現れた大畑氏だったが、その提案の内容は理にかなったものだった。ハナビラタケの良さを大きな消費地を抱える豊洲市場に伝えながら、そこで注文を取る。そこから少しずつ認知を広げ、ブランド化し、適正な価格を維持しながら、少しずつ需要を生み出していくという計画である。大畑氏が手にするのは販売額に応じた手数料のみで、売り上げが伸びるにつれてその手数料率を下げていく。売り上げが上がれば全員が適正な利益を手にでき、初期投資の必要もない――。

 なるほど、素晴らしいアイデアだけれど、本当にうまくいくかね。ご心配されるのは分かります。まずは販売ルートを確立して、確実に売れる形をつくります。そうか、ではとにかくやってみようか。リスクもないし、と、そんなやりとりの後、大畑氏はすぐに豊洲市場に向かい、ハナビラタケの担当者を探した。これもまた完全な偶然だが、ハナビラタケの取り扱い窓口となっていたのは豊洲市場でアルバイトしていた頃の知り合いだった。間もなく2ケース40パックが豊洲市場に出荷された。地元以外への初めての出荷であった。大井川電機が作るハナビラタケは、こうして「幻のキノコ」から新しい食材になっていったのである。