金融ブローカー、リヒャルト・コーラがイタリアのフィアット系銀行(クレディート・イタリアーノ)のために、国有化を予定していたアルプス鉱山会社の株を買い集めた一件で、これを黙認した財務相シュンペーターの責任が追及されることになった。

 シュンペーターの弁明が議会で認められ、事件は同社に第三者割当増資をさせ、その株を政府が買うことで収束した。

 収束したはずだったが、巨額の資金負担に耐えられず、けっきょくシュンペーターの財務相辞任(1919年10月17日)後、後任のリヒャルト・ライシュ財務相は政府が所有していたアルプス株をフェリックス・ゾマリー(1881-1956)に売却して、この事件は終わった(連載第43回参照)。

バウアーを後年まで怒らせた
シュンペーターの弁明

 今回はシュンペーターの弁明を聞いてみよう。通説では、シュンペーターは社会民主党の社会化政策失敗を目立たなくさせるため、スケープゴートにされてしまった被害者だった、ということになっているのだが、どうだろう。

 いろいろな文献を読んでも、シュンペーターが議会の調査委員会で語った内容は引用されていないので、記録が残っていないのかもしれない。

 引用されているのは、チャールズ・ギュリック(1896-)の著書(★注1)に掲載されているギュリック宛てのシュンペンターの書簡である。書簡の日付は不明だが、調査委員会と同じ時期だと思われる。

 書簡の内容はゴットフリート・ハーバラーやエドワード・メルツの著書(★注2)に引用されているのでわかる。ハーバラー先生が書簡の要旨をまとめているので孫引きする(一部要約)。

シュンペーターの弁明

1.アルプス鉱山会社にせよ他の会社にせよ、株式の売買を公認、認可、勧告したことはだれに対しても一切ない。

2.私に対して公認、認可、勧告の要請がなされたこともない。そのようなウワサは馬鹿げた話である。

3.このような株式取引の公認、認可、勧告は正しくないと考えるからこう言うのではない。むしろ反対に、もし私が困難な事態の困難さを増すにすぎなかったような手段を防止したとすれば、それは、祖国や政府やなかんずく社会民主党に対する奉仕をなしたものである、という風に私は考える。私はそれが正しいが故に、右のことをいうのである。