そのときの一塁側ベンチの様子を小宮山は「どんよりとした空気だった」と振り返る。神頼みにも似た祈りの雰囲気。泣き出しそうな部員もいた。

 それが一変する。熊田が初球を打ち抜く。鮮やかなレフト前ヒットだった。

 2アウト一塁。次の打者は蛭間。

 春季には5番を打った男が8番に下がっていた。そこに打順が回ってきた。

 慶応ベンチも動いた。右腕の木澤から左腕の生井惇己へスイッチする。

「やはり出てきたか」

 小宮山は息をのみ込んだ。

 早慶戦を戦う指揮官として慶応ベンチの気持ちは分かる。ヤクルトにドラフト1位指名された木澤を、この神宮で胴上げ投手にしてやりたい。木澤は前日に蛭間に打たれていて、その雪辱を果たしたいだろう。そこをあえて継投する。そのくらい生井の信頼度は厚い。

 分かっていたこととはいえ、厄介な左腕が出てきた。

 決め球はスライダー。その変化は特筆ものだった。

 春の早慶戦でも生井に抑えられている。3‐3の同点からの延長タイブレーク。2点を取られた後の裏の攻撃は1死満塁で5番の蛭間に回った。蛭間はスライダーに見逃し三振を喫した。

 秋の早慶戦では要所に必ず登板してくる。データミーティングで蛭間がスライダーに言及していた。「ベース1つ分くらい変化する。手を出すと、ボールとバットがびっくりするほど離れている」と。蛭間にとっては同じ2年生。春の三振が悔しくてならず、短い期間だが左投手のスライダー攻略に念を入れていた。

 打席に立つ前のこの場面、蛭間は「時が止まって見えた」と話す。

「あのとき、スタンドを見上げて、ベンチを見ました。音も時間も止まったような不思議な感覚で、何もかもがゆっくりとしていて」

 ゾーンに入ったのだ。

 蛭間に話を聞いたのは2022年春。時を経て4年生になり、あの場面を顧みてもらった。ゾーンに入った経験は、あのときのあの瞬間だけ。その前後を含めて一度もないという。

「生井が出てきて、でもイヤだなとは思いませんでした。ただ、4年生のために、という気持ちのほうが強かった。自分がなんとかしなければ、と」

 夏の終わりから、蛭間は頭を丸めてがむしゃらに練習した。4年生に励まされ続けてきた。