初球を振り切って決勝ホームラン
早稲田が10季ぶりの優勝

 快音が小宮山の耳に飛びこんできた。

 初球を、蛭間は振り切った。打球はセンター・バックスクリーンへ。

 小宮山は両手を挙げてダッグアウトを飛び出した。「うそだろう!」と思った。コロナ対策で神宮球場での観戦は声援を禁止している。だがこのときばかりは早稲田の応援席からうねるような声の塊がグラウンドに振ってきた。

「打った瞬間に、入ったと思いました」

 蛭間はそう語る。ゾーンに入っているせいか歓喜の感覚は湧いてこなかった。

 しかし、二塁ベースを回ったときだ。サードコーチャーに立つ杉浦啓斗の感涙の顔を見た瞬間、蛭間の目からも涙があふれだした。学生コーチの杉浦も情熱指導タイプだった。

「嫌われるのを承知で厳しく接してくれた」

 蛭間は言う。その感謝の念が込み上げてきた。

「4年生たちが打たせてくれた」

 試合後の殊勲のインタビューで、蛭間はそう話した。考えた言葉ではない。すっと出てきた。そこまで思わせてくれた4年生だった。

 9回裏のマウンドに早川が立つ。ヒットを許したものの、最後の打者を三振に打ち取った。

 白いユニホームたちがマウンドに駆け寄った。

 早稲田大学野球部、15年秋以来10季ぶり46度目の優勝。小宮山監督、就任後4季目での初優勝だ。

「今までの人生の中で一番感動」
普段は冷静な小宮山監督も感極まる

 午後4時。球場に吹き込む風が冷たくなってきた。勝利インタビューが始まった。

小宮山・早稲田の優勝をかけた早慶戦、「筋書きのないドラマ」の行方は2020年秋季リーグ優勝の記念ボール

「奇跡が起こりました。長いこと野球でメシを食ってきた人間として、いろんな試合を見てきて、自分が日本一になったときも考えて、今日の試合が今までの人生の中で一番感動しました。素晴らしかった。慶応義塾大学の素晴らしい選手たちと相まみえることができて、本当に感謝しています。最高のライバルです」

 そして、コロナ禍でのリーグ戦開催を成功裏に収めた全チームの日々の努力に言及、「全てのチームの勝利です」と熱いエールを送った。

 インタビュアーが恩師・石井連藏のことに触れたときだった。

 それまで滑らかだった小宮山の声が止まった。右手で目頭を押さえ、帽子を脱ぎ、声を詰まらせる。くしくも同年1月、石井連藏は野球殿堂入りを果たしている。

「石井さんの墓前に、いい報告ができます」

 石井とともに、慶応・前田祐吉も殿堂入りしている。2人は1960年秋の「伝説の早慶六連戦」の指揮官同士。あの死闘からちょうど60年だった。

(敬称略)

小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年千葉県生まれ。早大4年時には79代主将。90年ドラフト1位でロッテ入団。横浜を経て02年にはニューヨーク・メッツでプレーし、千葉ロッテに復帰して09年引退。野球評論家として活躍する一方で12年より3年間、早大特別コーチを務める。2019年、早大第20代監督就任。