2016年の発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行される。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。高度な内容をやさしくかみ砕いた本。社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。本記事では、全世界700万人が感動した同シリーズの世界史編『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』より、本文の一部を抜粋・紹介します。

【世界的話題作で歴史の学び直し】ロシアの全体主義と「独裁者スターリン」が行ったこととは?Photo: Adobe Stock

全体主義国家とプロパガンダ

 第一次世界大戦後、統治形態を全体主義へと変える国々がいくつか現れた。全体主義国家(政府が人々の生活のあらゆる側面を完全に支配する、絶対的な統治者として機能する制度)では、政治、社会、経済、知的活動、文化といった、市民生活のあらゆる側面を、政府がコントロールする。

 また、一般大衆を支配するためのプロパガンダ(正しいかどうかにかかわらず、人間、組織、理念にとってプラスやマイナスになる情報、思想、噂を意図的に広めること)手法をよく使うのも特徴だ。

ロシアの全体主義の台頭

 1922年、ロシア(1917年のロシア革命後、ロシア=ソヴィエト連邦社会主義共和国と呼ばれるようになった)が、ほかの3つのソヴィエト連邦構成共和国と合併して、新しい国家、ソヴィエト社会主義共和国連邦(略してUSSR、ソ連ともいう)を結成した。

 ソ連の初代最高指導者となったウラジーミル=レーニンは、新経済政策(ネップ)と呼ばれる政策を展開し、ロシアの飢饉を終結させるため、農民に農作物の自由な販売を認める。一方、重工業、銀行、鉱山は、政府の手に委ねられた。

 1924年にレーニンが死ぬと、ソ連共産党の主な政策決定機関である政治局は、どんな方向に進むべきかで悩んだ。そんななか、政治局の一員で、レーニンのロシア革命を手助けしたレフ=トロツキーは、ネップを終わらせ、ロシアを工業化し、外国へと共産主義を広げたいと思っていた。

権力を握るスターリン

 結局、トロツキーの計画どおりには進まず、その代わりに、政治局の別の一員であるヨシフ=スターリンが実権を握りはじめる。スターリンは、ソ連じゅうの都市や町の政治的な役職に、自分の仲間たちを任命していった。そして、1928年には、トロツキーをシベリアに追放してしまう。

 スターリンは、ソ連を農業国から工業国へと急速に転換させるため、ネップの代わりに、自身の考案した第1次五ヵ年計画を進めた。そして、重機の生産を4倍、石油の生産を2倍にし、軍用機器の生産を最大化したのだ。急速な工業化とともに、農業の急速な集団化(私有の農場を廃止し、土地を政府の管理に委ねる制度)も進められた。こうして、土地や農業は、政府が管理するようになった。

 でも、労働者への手当はうすく、農民は不満を抱えていた。賃金は低く、生活水準はひどいものだったという。しかし、スターリンは、新しい社会主義(財産や産業を社会全体で共有し、国家が管理する統治形態)国家の繁栄のためだといって、農民に犠牲をしいるばかりだった。

 スターリンは、自身に反抗する者を片っ端から粛清したり、シベリアの過酷な強制労働収容所へと追放したりした。800万人もの軍人、知識人、市民、外交官たちが、こうして排除されたのだという。

(※本原稿は『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』を抜粋・再編集したものです)