日本サッカー協会(JFA)が下した決断が、驚きを持って受け止められている。長年の悲願をかなえる形で、2003年に購入した東京都文京区内の自社ビル「JFAハウス」を売却するというのだ。JFAだけでなくJリーグなども事務局を構える本丸を、なぜこのタイミングで手放さなければいけないのか。背景を探っていくと、長引くコロナ禍で大幅な収入減と赤字増を余儀なくされているJFAの台所事情が見えてくる。(ノンフィクションライター 藤江直人)
3月の臨時理事会で突如決定
苦労して手に入れた自社ビルを売却へ
月例理事会からわずか5日後の3月15日に実施された、JFAの臨時理事会。真っ先に決議されたのは「JFAハウスの有効活用検討の件」だった。
臨時理事会終了後、オンライン形式によるメディアブリーフィングに臨んだJFAの須原清貴専務理事が、ある意味で唐突に聞こえる決定事項を報告した。
「JFAハウスの土地建物に関する、三井不動産レジデンシャル株式会社との売買契約を締結する件について、本日の臨時理事会において承認されたとお知らせいたします」
正式名称が日本サッカー協会ビルである「JFAハウス」は、JRおよび東京メトロの御茶ノ水駅から徒歩約7分、東京都文京区サッカー通りに位置するJFAの自社ビルだ。
92年に建てられた地上11階、地下3階の三洋電機マーケティング・プラザビルを、自前のオフィスを悲願としてきたJFAが03年に購入して現在に至っている。
約60億円の購入費はキャッシュで三洋電機に支払われた。約130億円と望外の金額に達した2002年のワールドカップ日韓共催大会の黒字の一部に、万が一ワールドカップで赤字を出した場合の補填用に蓄えていた資金を合わせたものだった。
岸記念体育会館内の一室を長く事務所としてきたJFAは、1990年代になると渋谷区内のオフィスビルに賃貸を繰り返していた。だからこそ、自社ビル購入時のJFA会長だった川淵三郎氏(現JFA相談役)は当時、こんな言葉で感慨に浸っている。
「このビルを実際に見ることができなかった先輩方が大勢いる」
ワールドカップ出場が遠い夢だった時代から、日本サッカー界の発展に尽力した先達へ捧げた感謝の思いだった。ほどなくして、JFAハウスには都内に点在していたJリーグやJFL、日本女子サッカーリーグなどがテナントとして続々と入居してきた。
さらに、1階および地下1・2階の3フロアには「日本サッカーミュージアム」が設けられ、目の前の金花通りはJFAと文京区との交渉で「サッカー通り」に改称された。JFAハウスの住所が「東京都文京区サッカー通り」となっているのもこのためだ。
日本サッカー界の発展を支えたJFAビル
売却の裏にはコロナ禍で悪化した「懐事情」
日本サッカーの象徴であり、本丸でもあったJFAハウスの売却が購入から20年目で決まった。その背景には、JFAを取り巻く環境をも例外なく激変させたコロナ禍があった。