「前の勝てなかった6シーズンは私の責任。就任時のプレッシャーは大きかったと思う。そのおわびも含めてねぎらいました」

 高橋の監督就任は15年春。その春に法政と並んで44度目のリーグ優勝、続く全日本大学選手権を制して頂点に立つ。秋季も45度目の優勝を果たす。この年11月の明治神宮大会は決勝戦で亜細亜大に敗れたものの(延長14回、1‐2)。神宮の杜に早稲田の雄姿を見せつけた。

 その翌年のチームの空気に、高橋はチーム作りの難しさを痛感したという。

「グランドスラムを目指す」

 当時の新主将のこの発言がスポーツ紙に載った。

「記事を見て、あっと思った。浮かれるというのとは違うが、目標がずれている。より上を目指す意気はいい。しかし、チームが変わったことに謙虚にならなければいけない。私が就任して部員たちに最初に言ったのは、『早稲田の目標は早慶戦に勝つこと。その次にリーグ戦優勝。その上での日本一』。それはいつの代でも変わらないこと」

 16年の春季は5位、秋季は3位。優勝は春秋ともに明治大だった。

「勝ったときこそ厳しく」
小宮山が「自らの師」に学んだ指導法

 同じく20年秋。大阪にいる野村徹に小宮山から電話が入った。「まだチームづくりをやりきれていないのに、優勝してしまった」との吐露だ。

「小宮山よ、今がチャンスだ。勝ったときこそ厳しく。もっと個を磨き、上を目指すように」

 野村は現監督にそう伝えたのだった。

 その年の暮れに大阪で取材をしたとき、野村は近大附属高の監督時代のことを話してくれた。