なぜこんなことになってしまったのか。いろいろな見方があるだろうが、「若者が会社をすぐに辞める」というこの問題の表面的なところしか見ていないからではないか、と個人的に思っている。

 表面しか見ていないと、どうしても分析も表面的になる。だから、その時々に目立っている「若者カルチャー」や「社会課題」と強引に結びつける、という後付け的な説明になってしまっているのではないか。

 では、この問題の本質は何か。筆者が考える、「若者が会社をすぐに辞める」原因はいたってシンプルだ。「これがもともとの日本人の働き方」だからである。

 日本では、「大学を卒業した若者が会社に勤め続ける」ことがあたかもこの世の常識であって、それが崩れてきたのは由々しき事態だと大騒ぎをしているが、実はこの常識は80年ほど前に「国策」として突如決められた「新しい生活様式」にすぎない。

 それ以前、明治から昭和にかけての「古き良き日本人」はもっとアバウトに働いていた。関西大学名誉教授の竹内洋氏はこう述べている。

「戦前の企業においては、サラリーマンの解雇は日常茶飯事だった。会社がサラリーマンを容易に解雇しただけではない。サラリーマンも好景気のときにはこれまで勤めてきた会社を簡単に見捨てて転職している。だから1920年のある雑誌(『実業之日本』)にはこんなことさえ書かれている。

『日本では多くの場合腰掛的に執務して居るが、外国では、例えば巡査を三十年勤めて居つたとか、教員を何十年勤めて居つたとか云つたやうに、一ツの仕事を永年勤続して居たのを名誉とする風があつて、日本人の如く移り気が少ない』」(日本経済新聞 2009年4月13日)

 つまり、大学を卒業した若者が1年や2年で「お世話になりました」と辞表を提出するのは、「日本人の伝統的な働き方」といえるのだ。

 そこで気になるのは、だったらいつから「大学を卒業した若者は会社を辞めることは悪いことだ」という常識が浸透したのかだが、これは1920年代後半から始まった日本の「転職は悪」という思想教育のせいだ。

若者が定年退職まで
勤める時代が「異常」

 1924(大正13)年、文部省は米国で「転職調査」を行なった。その結果、米国の若者は、賃金や労働条件の向上のために平均2年で3度にわたって職業を変えており、技能が身についていないと分析した。そして、米国を反面教師として、日本の若者たちに対して以下のような労働政策をすべきいう結論になった。

「ただ職業が困難だ、或は疲れたとか、面倒だとか、嫌だとか虫が好かないとか、斯う云ふやうな時に察して(中略)色々とそこに慰めてやる、或は又転職の不利なことを説いてやる」(『職業指導』社会教育協会P.136)

 当時はまだ「メイドインジャパン」の評判も悪く、日本は国として技術力向上に努めていた時代である。そんな中で、若者に米国のように簡単に転職されたらたまったものではない。そこで、一つの仕事に縛り付けて企業の技術力を急ピッチに上げるという「国策」が取られたのである。これは当時、「計画経済」を進めて、国民を一つの仕事に従事させていたソ連などもお手本になった。

 こうして日本の教育現場では、「腰掛的な執務」をしていた日本人的気質を性根から叩き直し、徹底的に「転職の不利なこと」を説く、「転職は悪だ」キャンペーンが始まったのである。例えば、1936(昭和11)年の神戸市高等小学校編さん『職業読本 男子用』を見れば、いたるところにこれでもかと「転職ヘイト」がある。

「謂はば、其の職業は神様から自分に與(あた)へられた天職である(中略)人の仕事が羨ましくなったり、他の職業の長所ばかり見て之に憧れたりするのは、つまり天職に対する自覚が足らないからである」

「少しばかり嫌気がさしたとか、又は目前の虚栄や利懲に惑わされて、転々として職をかへるやうでは、何年たつても安住の世界は得られない。昔は『石の上にも三年』といふ諺があつたが、世の中が複雑になり、文化の進んだ今日では、三年はおろか十年の辛抱でも尚不足を感ずる程である」

 このような全国的な思想教育が、日本社会に「人は最初に勤めた会社に長く働き続けることこそが正しい」という「新しい生活様式」を浸透させて、国家総動員体制によって完全に定着したというわけだ。