“鬼門”の中国事業でまたも失態
2兆ウォンの大損失に知らんぷり

 そもそもロッテグループにとって中国事業は“鬼門”とも言うべき存在だった。武雄が中国でガム事業に乗り出したのは、現地企業と合弁会社を設立した1994年。進出当初は苦戦したが、8年後の2002年には売上高が100億円を超え、相応の利益を上げる優良会社となった。当時、経営は日本のロッテが担っていたが、韓国担当の昭夫が「自分がやればもっとうまくいく」と武雄に何度も懇願し、経営の主導権は韓国のロッテに移った。

 だが、韓国から派遣されたトップによる放漫経営で売上高も利益も減り続け、100億円あった売上高は20億円に減り、累積赤字は30億円にまで膨らんだ。しかも、中国の合弁会社で買収したチョコレート工場は、昭夫の古巣である野村證券から持ち込まれた案件だったが、現場を視察した日本のロッテの工場長が「転売目的で造られた偽装工場」と報告するようなしろものだった。まさに武雄が育てた事業の芽を昭夫が枯らしてしまったのだ。

 そんな昭夫の捲土重来ともいうべき事業が流通事業だった。その中核となったのが「瀋陽ロッテタウン」。清の時代を再現したテーマパークにホテル、百貨店を備えた複合総合施設で、いわばロッテワールドの中国版である。これを旗艦店として、「ロッテ百貨店」やスーパー(ディスカウントストア)の「ロッテマート」などを全国展開していくという戦略だ。冒頭の、武雄に緊急で呼び出される2カ月前の14年5月には、「瀋陽ロッテ百貨店」がロッテタウンで先行オープンし、昭夫は有頂天になっていたことだろう。

 再び舞台を会長執務室に戻そう。武雄の追及と昭夫の言い訳は、噛み合うことなく延々と続く。昭夫は「大きな投資は私一人ではできない」と言い張り、武雄は「なにも聞いていない」と突き返す。話し合いが平行線を辿るなか、武雄の怒りだけが増幅していく。根負けしたのか、昭夫が、報告したという主張は引っ込めないものの頭を下げた。

昭夫 ちょっと報告は少なかったかもしれませんけれど、黙ってやったつもりはありませんで、本当に申し訳ございません。

武雄 申し訳ないで済むのか!(武雄の怒りが収まる気配は一向に感じられない)

 武雄の怒りが収まらないのも当然だ。佃によるまっ赤なウソだったとはいえ、宏之が佃に背いて8億円の赤字(実際には予算超過)を出したという報告を聞いて武雄は「クビだ!」と大激怒した。そんな武雄が、1000億円もの大赤字を垂れ流している中国事業の報告をもし聞いていたなら、昭夫がただで済むはずがない。「見え透いたウソをつくな」という武雄の怒りがひしひしと伝わってくる。

 武雄には生涯を貫いて一つ、どんなことがあってもブレない経営哲学がある。それは「人に迷惑をかけない」である。具体的には、「自分の背丈に合った事業を手がけ、背丈に合った経営をする」ということである。だから新規事業に乗り出しても、だらだらと赤字を流し続けるような経営は許さず、一刻も早く黒字化できる方策を即断即決で実行する。事業存続を危うくし、人に迷惑をかけるような赤字は絶対に許さなかった(『ロッテを創った男・重光武雄 重光武雄の「経営論」、生涯追求し続けた6つの原則とは』より)。

 例えば、「製菓業の重工業」といわれるほど巨額の設備投資が必要なチョコレート事業参入に際しては、仮にチョコレート事業が失敗してもガム事業の収益ですべて補える備えを準備していた。韓国でのロッテホテル開業では、それまで日本で蓄積し続けてきた不動産を担保に資金を手当てし、借金で首が回らなくなるような事態を避けた。無論、参入に当たっては研究に研究を重ね、確固たる黒字化戦略を描いた上でのことである。

 そんな武雄からすれば、昭夫の「黒字化に7年かかり、赤字は当然」という説明は経営者として無為無策であり、怠惰なだけにしか見えない。しかも中国事業は、自身のあずかり知らぬところで巨額の投資が行われ、黒字転換の明確なシナリオを示せないまま赤字を垂れ流しているのだから、経営者失格以外のなにものでもないのだった。

 結論を先に言えば、武雄の「お前が責任持てるか! 馬鹿野郎!」の言葉は現実のものとなった。昭夫が責任を持って黒字化するはずだった中国事業はその後も好転することはなかった。さらに16年にロッテ所有のゴルフ場の敷地に米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「THAAD(終末高高度防衛ミサイル)」の配備が決定すると、まず「ロッテワールド瀋陽」の建設が中国当局によって中止させられた。その後、不買運動もあって中国の「ロッテマート」は撤退に追い込まれ、免税店事業も大幅な売上減に見舞われた。韓国の『中央日報』は、THAAD報復だけで中国事業の損失は2兆ウォンにもなると報じた。昭夫は黒字化に責任を持つどころか、こうした失態の経営責任を明確にしていない。