世界最悪レベルの飢饉

 中国では、共産主義が栄えた。1945年時点で、中国には2種類の政府があった。中国南部の国民党政府と、北部の共産党政府だ。両者の内戦は、毛沢東率いる共産主義体制の勝利に終わった。こうして、1949年、中華人民共和国が誕生し、毛沢東がその初代主席になったのだ。

 1958年、毛沢東主席は、「大躍進」という新しい政策を始める。これは、いくつもの小規模な農地を統合して、3万人以上が一緒に暮らして働く巨大なコミューン(人民公社)をつくるという計画だった。毛沢東は、より公平な米の分配を約束した。

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 人民公社では、女性が夫と一緒に畑仕事に出られるよう、共同での子育てが促された。毛沢東主席は、こうした暮らしによって中国が階級のない社会になると期待していたけれど、「大躍進」政策は大失敗に終わり、世界最悪レベルの飢饉を引き起こしてしまう。こうして、1960年までに政策は中止されてしまった。

 1970年代終盤、「四つの現代化」という一連の改革のなかで、中国を(共産主義の政治体制のもとで)市場経済へと向かわせようとしたのが、中国共産党の指導者の鄧小平だ。

 農業、工業、国防、科学技術の「四つの現代化」によって、中国を経済大国にするという意図が込められていた。1980年代、中国がとうとうアメリカなどの外国からの投資に門戸を開くと、中国の経済はみるみる改善していった。

 留学して欧米について学ぶ人が増えると、共産党を批判して民主化を求める人も現れたけれど、その多くが声を上げた罰として、投獄されてしまう。

 1989年5月、学生の抗議活動家たちが、腐敗の根絶を要求し、共産党の指導者たちに辞職を求めた。すると、6月、抗議活動家たちは北京の天安門広場に集まった。

 鄧小平が戦車や軍を派遣すると、500~2000人もの人々が殺害されてしまう。中国は政治紛争を体験しつつも、この数十年間で、世界の経済大国のひとつへと発展したのだ。

朝鮮戦争と38度線

 朝鮮とベトナムでは、共産主義政府と非共産主義政府とのあいだの分断が起き、軍事衝突へと悪化していった。

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 第二次世界大戦前、朝鮮は日本の植民地だった。アメリカは、日本の占領する朝鮮を、北緯38度線で分割するよう提案した。すると、ソ連は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で共産主義者が実権を握るのを手助けし、アメリカは大韓民国(韓国)の民主主義政府を支援した。

 1950年6月、北朝鮮の共産主義勢力が韓国に攻撃を始める。国際連合は、アメリカのダグラス=マッカーサー将軍(第二次世界大戦での日本制圧に貢献し、日本占領を監督した人物)率いる兵士のチームを築き、韓国を支援した。マッカーサーが侵略者たちを韓国から追い出そうとすると、中国も負けじと、北朝鮮の同胞を助けるために軍を派遣した。

 結局、両者はそれ以上争うのをあきらめた。1953年7月、両者は休戦協定に署名し、朝鮮半島を北緯38度線で分断したままにしておくことで手を打ったのだ。