「ウクライナ降伏なら犠牲者は少なくて済む」は本当?戦争データで検証Photo:PIXTA

ロシアのウクライナ侵略に対して、「早く降伏したほうが犠牲者が少なくて済むから、早く降伏したほうが良い」という議論があるようだ。この議論について、過去の事実を基に考察してみたい。(名古屋商科大学ビジネススクール教授 原田 泰)

太平洋戦争での日本は
もっと早く降伏すべきだった?

 第2次世界大戦での日本は、アメリカに早く降伏したほうが良かったのは明らかである。

 太平洋戦争での日本の死者は、1977年に厚生省社会・援護局が挙げた数字では、37年7月以降の日本の戦没者は、軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人、合わせて約310万人となっている。日本が45年8月15日に降伏して以降、殺された人はごくわずかである(本稿の数字は、広田純「太平洋戦争におけるわが国の戦争被害――戦争被害調査の戦後史」『立教経済学研究』〈1992年3月〉による)。

 ただし、降伏するといっても、日本が敗北すると明らかになった後でなければ降伏できない。勝利を呼号していた軍人政府が、戦況の実態をつかんでいる別のエリート集団によって除外されなければ降伏できない。しかし、あまりに早く軍人政府を転覆して降伏しても、国民も「負けてもいないのに何で降伏するんだ」ということになる。降伏は、日本が制空権を失い、全土に空襲警報が鳴り響き、「『アメリカに勝てる』『勝ったら植民地を拡大して豊かになれる』と言っていた軍人はうそつきだ」と国民が認識しなければ降伏できない。

 もちろん、このような問題設定は、単に降伏すればその後の死者は少なくなったかという問いではなくなってしまうという批判があるだろう。しかし、そういう問いであれば、そもそも戦争を始めるべきでなかったという答えにしかならない。

 日本が降伏できるほど負けたのがいつ頃かを決めることは難しいが、いくつかのきっかけを考えることはできる。44年6月、マリアナ沖海戦の敗北でマリアナ諸島に米軍基地が置かれると日本本土がB29の爆撃圏内になり、11月にはB29の爆撃が始まる。現実に爆撃される以前、44年7月に東条英機内閣は総辞職している。敗北必至の責任を取らされたわけで、エリートは当然に戦況を知っていた。

 45年3月10日の東京大空襲では、1日で8.3万人が死亡した。東京大空襲のアメリカにとっての大成功を見て、アメリカ軍はその後の10日間で、名古屋、大阪、神戸も爆撃した。米軍は4月には沖縄本島に上陸する。つまり、日本の指導者が賢明であれば、44年6月や45年3月に降伏することは可能だったのだ。

 早く降伏することでどれだけの命が助かっただろうか。日本政府は、そもそも時期別の戦没者(軍人および民間人の戦争死者)数を公表していない。朝日新聞が47都道府県にアジア・太平洋戦争中の年ごとの戦死者の推移をアンケートしたところ、岩手県以外は「調べていない」「特に必要がない」「今となっては分からない」と答えたとのことである。もちろん、それぞれの県出身の兵士がいつ戦死したかが分かれば、時系列での戦死者数が分かる。岩手県によれば44年以降の戦死者の割合は87.6%になる。一橋大学の吉田裕教授(肩書きは執筆時)は、これらの情報により戦没者の9割が44年以降に死亡したと推測している(吉田裕『日本軍兵士』25頁、中公新書、2017年)。

 次ページでは、日本の戦没者数の推移をデータで見ていこう。