ウクライナとは異なる日本の課題
募る危機感と明るい社会への願い
日本には、ウクライナのように「国家や社会が滅亡するかもしれない」というような、今、ここにある危機は確かにないかもしれません。日本は良い社会で、改善の必要性・重要性が少なく、改善のためのテクノロジー活用も重視されていない面があります。
たとえばUberのようなサービスが米国などで必要とされるのは、しばしば起こる料金の不正や犯罪などの課題を避けるという理由があります。一方、日本のタクシーは基本的には清潔だし料金不正もまれで、そもそも国際的に見れば料金も十分安いと言われています。Uberが生まれるに至った課題が日本にはないため、Uberのサービスをそのまま日本へ持ち込んでも、課題解決のかたちとして喜ばれ、使われるサービスに発展しないのは当然でしょう。
ただし見方を変えれば、日本に課題が全くないわけではありません。真綿で首を絞めるかのように課題がゆっくりと進行しているに過ぎません。ですから、人口減少問題でも分かるように、ある時を境に課題が急加速していくかたちになります。
本当は、その目に見えないゆっくりした課題進行のスピードに応じて、しっかりと課題を理解・認識し、逐次解決を図る必要があるのです。ところが、課題に気づいていても自分が死ぬまでは逃げ切れると考えて、何のアクションも起こさない人が大勢います。
ウクライナのような死活問題ではありませんが、若い人には今後への危機感を持って欲しいと思うのと同時に、私と同世代の人たちには勝ち逃げしようと思わず、そうした若い人たちがもっと輝ける社会にして欲しいと考えます。
私自身はたとえ勝ち逃げできたとしても、どんどん暗くなっていく社会の中で死にたくはありません。年寄り国家になることは仕方がないことですが、年寄りが逃げ切って死のうと思わず、若い人たちのために何を残すべきかを考え、明るい社会をつくって、その中で死んでいけるような世の中であってほしいと願っています。
(クライス&カンパニー顧問/Tably代表 及川卓也、構成/ムコハタワカコ)