ソニーのターニングポイント
になった出井氏の社長就任
ソニー(現ソニーグループ)元会長兼CEOの出井伸之氏が、6月2日に亡くなった。84歳だった。
1995年にソニー社長に抜擢され、98年にCEOとなった出井氏は、早稲田大学政治経済学部出身のいわゆる文系社長であった。私事で恐縮だが、97年にソニーに入社した筆者は、工業高校の電子科から京都大学経済学部に入学したというわりと異色のキャリアであったが、高校時代に電子工学を学んでいたのは、将来ソニーに入りたいという願望があったからだ。
ただ、紆余曲折があって経済学部に進学した後は、「ソニーは憧れでいいや」「仕事は別に考えよう」と思っていた。それは、ソニーは技術の会社だという思い込みがあったからだ。
しかし、95年に出井氏が社長に就任したとき、「経済学を学んでもソニーで事業部長や社長になることができるのか」と思い、再びソニーに入りたいという夢が復活した。出井氏は、自分にとってそうしたターニングポイントになった人物だった。
ターニングポイントといえば、ソニーグループの吉田憲一郎会長は、「ソニーがグローバル企業に進化するためのターニングポイントが出井氏の仕事だった」とブルームバーグで述べている。また、筆者も同記事のコメントとして「出井氏は、20~30年先を見据えた経営判断ができる先見性のあるリーダーだったことは確かだ」と述べた。(https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-06-07/former-sony-ceo-idei-has-died-of-liver-failure-at-84)
出井氏のソニー経営者としての評価は、大きく分かれるところだ。筆者自身も出井氏の経営については、前半と後半で評価が分かれると今までも述べてきた。
出井氏がCEOに就任した直後は、矢継ぎ早に新たな戦略を打ち立て、ソニーを一AVメーカーからグローバルなIT事業、エンタテインメント事業を行うコングロマリットに成長させる方針を打ち出した。しかし、次々と打ち出される戦略の実施については、出井氏はそれほど興味がなく、また得意でもなかったのであろう。現場は出井氏の戦略についていけないまま、次々と新たな事業が打ち切られ、ソニーの業績を悪化させた。