賛否分かれる出井氏の手腕
「クオリア」が姿を消した本当の理由

 しかしあえていうと、今日のソニーの姿を見る限り、同社をアナログAVの企業からデジタルのIT企業へと変えていった90年代後半の出井氏の戦略は、間違っていなかったのだと思う。

 ただ先に述べたように、出井氏は戦略のインプリ(実装)に弱く、その戦略はずっと将来を見たものであった。そのため、当時のソニーの執行役員やミドルマネジメントには出井氏の考える本質が理解できずに、2000年代の停滞を招いたようにも思う。

 たとえば「クオリア」(QUALIA)というブランドを立ち上げたことがあった。当時出井氏は、「ソニーが機能・性能で優れた製品を出すブランドであるのに対し、直感的に情緒的に面白いと感じるような製品がクオリアだ」と説明した。それは、単に価格が高い製品を意味するものではない。トヨタ自動車の最高級車と、スイスの時計会社スウォッチとダイムラーベンツ(現ダイムラー)の合弁によってつくられたコンパクトカー「スマート」を比べると、スマートの方が価格は低くてもクオリア的な製品だと述べていた。

 これは、経営学やマーケティング論でいうところの情緒的価値や意味的価値を示すものであるが、出井氏はこの価値を早くから見抜いていた。2000年代にアップルは、単に機能・性能がよいだけではない、デザインや操作性の直感的な面白さを売りにしたiPodを上市して、ソニーのウォークマンのポジションを奪っていった。出井氏の発想は、スティーブ・ジョブズ氏のそれとかなり近いものであった。

 当初は、CDを置くとディスクが自然にスライドして再生位置に移動するギミックを示したCDプレーヤーや、機能・性能はそこそこでも現在のミラーレス一眼の基礎とも言えるようなレンズ交換式の超コンパクトデジタルカメラなど、クオリア的な製品がいくつか登場した。しかしそれに続く製品は、出井氏が考えるクオリアとはかけ離れたものになっていった。定性的で情緒的であるクオリアの価値をきちんと受け止めて商品化できる事業部長や商品企画が、あまりにも少なかったからだ。

 そのうち、単に機能・性能がよくて通常のラインナップでは販売できないような価格帯の超高性能モデルなどを、クオリアとして製品化するようになった。情緒的価値とはほど遠い、既存の機能的価値のお化けのような商品を出すにつれ、クオリアの魅力は減少し、やがてクオリアブランドは世の中から姿を消した。