このように、目の付けどころは悪くなく、むしろ時代を先取りしすぎるくらいの感覚で新たな戦略を打ち出した出井氏の考えは、出井氏の中では完結し優れたものであったが、当時50万人いたソニー社員全体には理解されなかったのだ。

 さらに出井氏は、当時としては珍しい委員会設置会社や経営と執行の分離など、現在では多くの日本企業が模倣する新しい経営手法をいくつも打ち出したが、自らの経営と執行の分離がますます経営者・出井伸之が考える尖った経営戦略と、それを実施する執行役員との間の亀裂を増し、出井氏の戦略は次々と企画倒れになっていった。

 しかし、ソニーの20年後、30年後を見据えて戦略を打ち出したい出井氏は、新たな事業の種を蒔き、プレイステーション、So-net、ソニー銀行という新規事業を開始した。これらの新会社で経営を学んだのが、平井一夫氏、吉田憲一郎氏、十時裕樹氏であり、彼らこそがここ数年のソニーのリカバリーを果たした経営陣であったことは、偶然とは言えないだろう。

 ソニーの技術を用いながら、アニメや音楽、映画、ファイナンスなど、緩やかなシナジーでエンタテインメントを核としたコングロマリットとしてのソニーを生み出す基礎を築いた出井氏の功績は、90年代には理解されなかったが、20年経った今になって花開いたといえる。先にブルームバーグの記事を引用したが、ソニーが出井氏逝去のリリースを出してすぐ、筆者は海外プレスからのコメントを求められた。それも出井氏の影響力の大きさを示していると言える。

「技術に溺れてはいけない」
今も胸に残る名経営者の遺訓

 もうひとつ、私事を話させてもらえば、筆者がソニーユニバーシティの学生として夕食会で出井氏と個人的に話したときに言われたことが、今も心に残っている。それは、「ソニーが技術だけで勝ってきた製品は、ソニーの歴史にひとつもなかったことを忘れてはいけないよ。そのつもりで商品企画をしないといけない」というものだ。

「技術をツールにエンタテインメントや感動を呼ぶ製品でお客様をあっと言わせることが大切であり、技術に溺れてはいけない」というメッセージは、今でも筆者が学生に技術経営を教える上での指針のひとつとなっている。

 また出井氏は、あまりにも仕事で理不尽なことがあったため、直訴して文句を言いに行ったとき、「それは我々マネジメントチームの誤りだった。申し訳ない」と一介の社員である筆者に頭を下げる、柔軟性のあるリーダーでもあった。

 謹んで哀悼の意を表したい。

(早稲田大学大学院経営管理研究科教授 長内 厚)