156年間イギリスの統治下にあった香港が、1997年7月1日に中国へ返還されてから間もなく25年がたつ。くしくもその直前に、香港と肩を並べる国際都市の上海で、2カ月にもわたる厳格なロックダウンが断行された。オミクロン株の感染拡大防止には非有効的といえる上海での措置は、3年前の「香港100万人デモ」の鎮圧と通底するものがある。上海と香港の2都市の歴史にさかのぼり、今後の上海の行方を深読みしてみた。(ジャーナリスト 姫田小夏)
市民を中央政府に服従させることが狙いか
香港返還から25年を迎えた今年、上海ではロックダウンが断行されたことに因縁を感じるのは行き過ぎでもないだろう。
少なくともこの2都市には共通点がある。それは、中央政府のコントロールが利かない“制御不能な都市”ということだ。それを象徴する出来事が、最近では2019年の「香港100万人デモ」と、大胆な住民の反発が起こった今回の「上海ロックダウン」だ。
習近平国家主席の”子飼い”と言われる上海市トップの李強氏(上海市共産党委員会書記)を歯牙にもかけない上海市民の態度は、習氏をして「自分への対抗意識」と警戒させた節がある。
上海は、習氏にとって天敵と言える江沢民派閥の牙城であった。習氏は2012年の党総書記就任以降、「反腐敗運動」を展開して上海閥の一掃に本腰を入れた。1991年から続いた「上海市長は、地元で経験を積んだ官僚が就く」という慣例が2020年に破られたのもその一例で、中央から“子飼い”が派遣されるという人事に、上海市民は不満を高めていた。
こうした一連の“上海つぶし”も、裏を返せば、そこに独特な政治風土があるからだと解釈できるだろう。
そんな上海で行われた今回のロックダウンは、2500万人もの市民を「自宅に幽閉」するもので、「最低限の外出」を許可した武漢市のロックダウンと比較しても、かなりの強硬措置だったことがうかがえる。上海出身の妻を持つ台湾人の王忠義さん(仮名)は、今回のロックダウンの背景をこう解釈している。
「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」