そのように考える人が出てくるほど、お金は絶対的な価値を持つものとして君臨しています。

 わたしは「拝金教」と呼んでいますが、みんながこの宗教による、ある種の洗脳を受けていると言えます。

 近代以降、自然科学の発達とともに、それまで信じられていた伝統的な宗教の考え方ではなく、「合理的精神」が、人々のさまざまな価値判断の基準となっていきました。神によってこの世界がつくられたと本気で信じる人は少なくなり、神に変わる新たな価値観を求めて、人々はお金を拝んだり、国家を絶対視したりするようになります。

 お金や国家への依存心は、産業社会の支配者である資本家や、国家の為政者にとっては、都合が良いことです。こうして人々は、それと知らずに社会のカラクリのなかに巻き込まれ、そこで植え付けられた価値観のなかでしか物事を判断できなくなっているのです。

『民族とナショナリズム』を読み解くことで、ナショナリズムという宗教に限らず、現代にはびこるさまざまな「宗教的なもの」を、俯瞰して見つめることができるようになります。

 そうすることによってあなたは、人生を「呪縛するもの」から解き放たれることができるでしょう。