特に顕著なのは、30近くのミニ新党が候補者を立てた、1989(平成元)年に行われた参議院選挙であろう。結局全くのゼロからの新党で当選したのは、スポーツ平和党のアントニオ猪木候補ぐらいであったと記憶しているが、自民党の大量落選、「マドンナ旋風」と呼ばれた土井たか子委員長率いる日本社会党の大躍進の中で、影は薄くなっていった。

 この時の新党ブームは、社会党がまだその役割を担っていたので、新党が政権与党に対する批判票の受け皿とはなり得なかった。

 その次の新党ブームといえば、細川8党連立政権を誕生させた、日本新党や新党さきがけ、新生党が誕生した92(平成4)~93(平成5)年だ。これらの新党は、新党といっても元首長や自民党離党組を中心に結成されたものであり、今回の参院選に多くの候補者を立てている新党とは異なる。一方で、後に「第三極」と呼ばれる新党の萌芽をここに見ることができるように思う。

 その次の新党ブームは、それまでの間に既存の新党による離合集散はあったものの、まさに第三極が誕生した2009(平成21)年の「みんなの党」の結党であろう。この時も、始まりは代表を務めた渡辺喜美氏らの自民党からの離党だったが、その後「お家騒動」によって分裂、解党するまで、政権与党入りすることなく(「与党再編」という奇妙奇天烈な言葉でカモフラージュしつつ、連立入りを目指して政権与党にすり寄ったことが分裂・解党の大きな原因の一つとなった)、第三極であり続けた。

 みんなの党に続いて、地方政党であった「大阪維新の会」を母体として「日本維新の会」が結党され、同会も第三極の一翼を担う存在として認識されるに至った。

 それ以降の新党ブームは、ブームとまではいえないが、小池百合子東京都知事の人気と「都民ファーストの会」の大躍進を受けた「希望の党」の結党、その希望の党への「抱きつき心中」のような形での民進党の事実上の解党(参院では存在し続けたが)を受けた立憲民主党の結党、そして、旧自由党勢力とたもとを分かった山本太郎氏により結党された「れいわ新選組」、さらに「NHKをぶっ壊す」というスローガンに象徴されるNHK問題というシングル・イシューで結党され、れいわと同じ参院選で同じく国政政党になったNHK党へと続く。